大学事典 「ケーニヒスベルク大学」の解説
ケーニヒスベルク大学[独]
ケーニヒスベルクだいがく
正式名称は,創設者プロイセン大公アルブレヒト(1490-1568)の名前にちなんでアルベルトゥス大学ケーニヒスベルク。1544年に東プロイセン中心都市であったケーニヒスベルクに開校した。宗教改革の精神によってつくられた2番目のプロテスタントの大学として知られる(1番目はマールブルク大学)。哲学者カント,I.(1724-1804)は,ケーニヒスベルクで生まれ,ケーニヒスベルク大学に学び,のちに母校の教授となったことで有名である。カントが活躍した18世紀末はドイツ観念論哲学のメッカとなった。第2次世界大戦後ケーニヒスベルクはソ連領(現ロシア領)となり,カリーニングラードと呼ばれるようになった。ケーニヒスベルク大学も閉鎖され,現在はカントの名前を付したイマヌエル・カント・バルト大学(ロシア)という名称のロシアの大学となった。ドイツロマン主義を代表する作家E.T.A. ホフマン(1776-1822)は,ケーニヒスベルクの生まれで本大学の卒業生である。
著者: 木戸裕
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報