ヘルバルト(読み)へるばると(英語表記)Johann Friedrich Herbart

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘルバルト」の意味・わかりやすい解説

ヘルバルト
へるばると
Johann Friedrich Herbart
(1776―1841)

ドイツの哲学者、教育学者。オルデンブルクに生まれ、家庭教師ユルツェルの教育下に幼少時より哲学への関心を抱く。クルーゼの私塾で自然科学を学び(1785~1786)、ギムナジウム在学中に人間の意志の自由に関する論文を書き(1790)、卒業生代表として「国家において道徳の向上と堕落を招来する一般的原因について」の演説を行う(1793)など、早くから非凡さを発揮した。イエナ大学で法律を学び、そこでフィヒテの哲学に影響を受ける一方、ゲーテシラーヘルダーの住むワイマールを訪れては芸術的素養を身につけた。卒業後3年間ベルンのシュタイゲル家の家庭教師となったが、グルンドルフにペスタロッチを訪ねたこと(1799)とともに、これが教育学への決定的関心を促した。ゲッティンゲン大学で教育学、倫理学、哲学を講じ(1802~1809)、主著『一般教育学』(1806)、『一般実践哲学』(1807)を著す。ケーニヒスベルク大学に招かれて名誉あるカントの講座を継承し(1809)、『心理学教本』(1816)、『哲学綱要』(1831)を著す一方、教育セミナーや実験学校を付設して教育実践面にも活躍した。ふたたびゲッティンゲン大学に招かれ(1833~1837)、教育学体系を基礎づけた『教育学講義綱要』(1835)を著し、教育の目的を倫理学に、方法を心理学に求めて多面的興味喚起を唱えた。ツィラーTuiskon Ziller(1817―1882)によって5段階に発展させられた教授法とともに明治20年代、日本に紹介され、谷本富(たにもととめり)(1867~1946)を中心として大きな影響を及ぼした。

[増渕幸男 2015年4月17日]

『『一般教育学』(三枝孝弘訳・1960・明治図書出版/是常正美訳・1968・玉川大学出版部)』『ヘルバルト著、高久清吉訳『世界の美的表現』(1972・明治図書出版)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘルバルト」の意味・わかりやすい解説

ヘルバルト
Herbart, Johann Friedrich

[生]1776.5.4. オルデンブルク
[没]1841.8.14. ゲッティンゲン
ドイツの哲学者,教育学者,心理学者。 1797年イェナ大学を卒業,1802年ゲッティンゲン大学講師,08年ケーニヒスベルク大学教授,33年ゲッティンゲン大学教授。最大の功績は教育学を体系化したことにあり,その教育思想,教育法はヘルバルト学派によって世界的に拡大普及された。彼は教育学の基礎を倫理学と心理学におき,教育の最高目的を徳性の涵養にあるとし,教育の作用を管理,教授,訓練の3つに分けた。明瞭,連合,系統,方法の4段階による教授を唱えたが,後継者による5段階教授法が各国に普及した。主著『一般教育学』 Allgemeine Pädagogik (1806) ,『教育学講義綱要』 Umriss pädagogischer Vorlesungen (35)など。

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