カリーニングラード(読み)かりーにんぐらーど(英語表記)Калининград/Kaliningrad

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カリーニングラード」の意味・わかりやすい解説

カリーニングラード
かりーにんぐらーど
Калининград/Kaliningrad

ロシア連邦西部、カリーニングラード州の州都バルト海のビスラニー湾東部に注ぐプレゴリャ川の河口に位置する港湾都市。1946年まではケーニヒスベルクKönigsbergと称した。人口43万1902(2010)。第二次世界大戦で市の建物や設備の90%以上が破壊されたが、復興は迅速に進められた。現在、ロシアの交通、水産、工業の中心地として発展している。主要な工業は機械・金属加工業(鉄道車両製造、船舶修理、道路・建設用機械、クレーン、自動車部品、紙・木材加工工業用設備)、水産加工、木材加工、製紙工業である。港は一時凍結することもあるが、ロシアでは不凍港とされ、漁業基地、商港として重要である。イマヌエル・カント・バルト連邦大学、水産大学、郷土博物館などの教育施設があり、カントの墓のある14世紀建造の寺院、ドイツ騎士団の城が保存されている。市の近郊には、スベトロゴルスク、ゼレノグラツクなどの沿岸保養地が発展している。

[中村泰三]

歴史

ドイツ人の東方植民以前、この地にはバルト民族プロイセン人の城塞(じょうさい)と集落があったが、1255年ドイツ騎士団がここにケーニヒスベルク城を築いたのが都市発展の始まりである。1280年に都市権を得たケーニヒスベルク市は、14世紀にはハンザ同盟にも加わって貿易で栄え、1544年には大学も設立されている。城は1459年以後騎士団長の、1525年以後はプロイセン公の居城であり、プロイセン公国がブランデンブルク選帝侯領有に帰してからのちも、ケーニヒスベルクは国家第二の首都として重要な地位を占めた。プロイセン国王は代々ここで戴冠(たいかん)している。第二次世界大戦で旧市街は破壊され、ポツダム会議によりソ連領となった。1991年12月のソ連崩壊に伴い、ロシア連邦の一都市となる。

[坂井榮八郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カリーニングラード」の意味・わかりやすい解説

カリーニングラード
Kaliningrad

1946年までケーニヒスベルク Königsberg。ロシア西端部,カリーニングラード州の州都。バルト海に通じるウィスワ潟湖の北東部,カリーニングラード湾に面する港湾都市で,プレゴリャ川の河口に位置する。 1255年ドイツ騎士団により建設され,1340年ハンザ同盟加入後,商業都市として繁栄。 16世紀初頭プロシア公国の首都となり,1701年からプロシア王国領,のちドイツ領。 1945年4月ソ連軍が占領し,ドイツに対する戦後処理を決定したポツダム協定でソ連領となった。市街は第2次世界大戦により大きな被害を受けた。現在,機械 (鉄道車両,クレーン) ,造船,木材加工,製紙,食肉加工,水産加工,綿織物などの工業がある。港は冬季結氷することもあるが,船の出入が可能で,不凍港とされ,バルト海におけるロシアの主要な軍港であるとともに,商港,漁港としても重要。湾内の水深が浅いため,西のバルト砂嘴に位置する外港バルチースクまで水路が浚渫されている。カリーニングラード大学 (1967) ,水産大学,高等商船学校などがある。鉄道によりラトビアのリガ,リトアニアのカウナス,ポーランドのエルブロンクなどと結ばれ,コペンハーゲン,グダニスク,サンクトペテルブルグと定期船で連絡。人口 43万1491(2010)。

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