ゲオルギオス(英語表記)Geōrgios Pisidēs

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゲオルギオス」の意味・わかりやすい解説

ゲオルギオス
Geōrgios Pisidēs

7世紀前半のビザンチン詩人。ヘラクリウス帝のもとでコンスタンチノープルのハギア・ソフィア教会の補祭および記録係を長年つとめた。ビザンチン初期において最も声望の高かった詩人で,同時代人はホメロスをも凌駕すると考えていた。ギリシア語の豊富な語彙を駆使し,複雑な韻律を自由にあやつっており,のちにギリシア詩の主流となった十二音節詩の完成者とされている。その詩作は宗教詩と歴史を扱った詩とに大別され,宗教詩には,天地創造を描いて,のちにアルメニア語や古代スラブ語に翻訳された『ヘクサエメロン』 Hexaēmeron,人生のむなしさを歌った『むなしい人生に』 Eis ton mataion bionなどがある。史的素材の詩としては 626年のアバール人のコンスタンチノープル攻撃を描いた『夷狄 (いてき) の侵略に』 Eis tēn genomenēn ephodon tōn barbarōn,およびヘラクリウス帝賛歌が著名。

ゲオルギオス
Geōrgios Monachos

9世紀中頃のビザンチン帝国の歴史家。別称 Hamartolos。生涯については一切伝わっていないが,モナコスの通称が示すように修道士であった。ビザンチン期特有の歴史叙述である年代記作者として著名 (→ビザンチン文学 ) 。その『年代記抄』 Chronikon Syntomonは天地創造から 842年までを扱い,神学的色彩が強く,また同時に文体や記述方法の点で通俗性がみられる。この『年代記抄』はその後高く評価され,948年までの補遺が加えられたほか,さらに何度か編集し直されている。早くからスラブ語に翻訳され,特にロシア人の年代記編纂に大きな影響を与えたほか,グルジア語にも翻訳されている。

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世界大百科事典(旧版)内のゲオルギオスの言及

【暦】より

…アレクサンドリアではパノドロスPanodōrosの前5493年とアンニアノスAnnianosの前5492年の両説があったが,ヒッポリュトス,クレメンスなどの教父は前者を採用し,天地創造の年月日を前5493年3月25日に置いた(のち7世紀より前5508年のビザンティン式に改めた)。ビザンティン式では前5509年と計算するが,のち630年にゲオルギオスGeōrgiosがインディクティオ(後述)と合わせるため,前5508年と改めた(年初は9月1日)。そのほか,ネストリウス派では前5491年,グルジア教会では前5604年とする。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」