夷狄(読み)いてき(英語表記)Yi-di; I-ti

百科事典マイペディアの解説

夷狄【いてき】

中国人が周囲の異民族を呼んだ語。中国人は自らを中華とし,四方の人びとを東夷・西戎(せいじゅう)・南蛮・北狄と呼んだ。夷狄はその総称。戎狄とも,単に夷とも呼ぶ。→中華思想
→関連項目百姓

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世界大百科事典 第2版の解説

いてき【夷狄 Yí dí】

中国の周辺地域に存在する異民族。一般に〈東夷,北狄,南蛮,西戎〉とよばれるが,《周礼(しゆらい)》職方氏では四夷,八蛮,七閩(びん),九貉(はく),五戎,六狄,《礼記(らいき)》明堂位篇や《白虎通》礼楽篇では九夷,八蛮,六戎,五狄など,そのかぞえかたはさまざまである。ところで〈夷狄〉は民族的,地理的概念であるとともに,よりすぐれて〈華夏〉つまり中国の対極をなす政治的,文化的概念であった。いわゆる中華思想の所産であって,夷狄は華夏の〈礼楽〉すなわち文化と道義性の欠如体にほかならず,人間と禽獣の中間の存在とさえみなされた。

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大辞林 第三版の解説

いてき【夷狄】

〔「夷」は東方の蛮人、「狄」は北方の未開人の意〕
未開の人。えびす。野蛮人。 → 東夷北狄
外国人を、軽蔑したり敵意をもったりして呼ぶときに使う語。 「 -を打ち払う」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

夷狄
いてき

中国の黄河中流域に住む漢民族が、外辺の異民族に対してつけた蔑称(べっしょう)。戎狄(じゅうてき)、蛮夷(ばんい)という呼び方もある。元来、戎とか狄とかよばれた種族は、中国の内地にも雑居していた。夷は山東省から淮河(わいが)下流方面に住んでおり、殷(いん)王朝とも交渉があったし、狄((てき)とも書く)は山西省南部にいて、周王室や晋(しん)とも深い関係があった。春秋時代の斉(せい)の桓公(かんこう)は隣接する戎を討って覇者となったが(尊王攘夷(じょうい))、戦国時代になると内地の戎や狄はしだいに中央集権国家に吸収され、かわって外辺の異民族が夷狄、戎狄、蛮夷として登場してきた。これらには中国の王者の徳がまだ十分に及んでいないが、やがては中華の文化に浴し、帰服するはずの存在とみなされていた。方角に当てはめて、東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)、北狄(ほくてき)と表現された場合もある。このように自己の文化を最高と考え、それ以外の民族や国家を夷狄、蛮夷と見下す中華思想は、中国以外でも幕末日本の攘夷思想のように日本や朝鮮でも再生産された。[小倉芳彦]

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世界大百科事典内の夷狄の言及

【衛正斥邪】より

…国内的には,朝鮮朱子学を唯一の正学とし,朱子学以外の儒教の潮流および仏教を邪学として斥けた。対外的には,華夷思想に基づき,朝鮮を小中華と自認し,清その他の国々を夷狄視した。華夷思想とは,本来漢民族の世界観で,礼の有無によって世界を華と夷に弁別し,自国は礼が備わった〈中国〉,すなわち〈中華の国〉とし,他は夷狄とするものである。…

【三科九旨】より

…〈三世を張る〉といわれるものである。第3に〈その国を内にして諸夏を外にし,諸夏を内にして夷狄を外にし,夷狄が進んで爵に至る。これ三科九旨なり〉。…

※「夷狄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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