日本大百科全書(ニッポニカ) 「サリドマイド訴訟」の意味・わかりやすい解説
サリドマイド訴訟
さりどまいどそしょう
非バルビツール系睡眠薬でのちに胃腸薬(おもに妊婦のつわり防止薬)として用いられたサリドマイド剤の副作用であざらし肢症などの障害児が生まれたことをめぐり、1963~74年(昭和38~49)被害者家族が当時の厚生省と大日本製薬株式会社を相手取り責任を追及した民事訴訟。旧西ドイツで開発された同剤は1958年から日本でも発売されたが、61年西ドイツの医学者W・レンツWidukind Lenz(1919―95)により、妊婦が服用した場合、催奇性があることが指摘され、大日本製薬は翌年9月から1年余りかけて薬を回収した。しかし大衆向け医薬品として販売され、レンツ警告後も適切な処置を怠ったため被害は深刻で、1963年6月名古屋地裁への提訴に始まり、72年6月までに全国8地域、63被害者家族が訴訟を起こした。訴訟は1974年10月和解成立で終了したが、日本の薬害訴訟では1人当り2800万~4000万円の賠償額支払いが確認されたほか、国の過失責任の明確化および恒久的福祉対策要求など、その後の薬害訴訟の先駆的役割を果たした。
[荒川章二]
『増山元三郎著『サリドマイド』(1971・東京大学出版会)』▽『田中二郎他著『戦後政治裁判史録 第4巻』(1980・第一法規出版)』