デジタル大辞泉 「因果関係」の意味・読み・例文・類語
いんが‐かんけい〔イングワクワンケイ〕【因果関係】
2 犯罪や不法行為などをした者が法律上負担すべき責任の根拠の一つとして、ある行為と結果との間に存在していると認められるつながり。
原因と結果の関係のこと。一般には,事象Aが事象Bをひき起こすとき,AをBの原因といい,BをAの結果という。そしてこのとき,AとBの間には因果関係がある,という。
アリストテレスは原因に四つの種類を区別した。〈質料因〉〈形相因〉〈目的因〉〈動力因〉である。しかし近代科学の成立とともにこのような考えは崩壊し,動力因のみが原因として生き残った。これが近代力学における〈力〉である。ニュートンにおいては,速度の変化をひき起こす原因として力が登場し,その間の関係を一般的に表したものが彼の第2法則にほかならない。それではいったい,このように言うときの〈ひき起こす〉とはどういうことか。そして〈力〉とは何であろうか。この問題は,経験主義の枠内で考えるかぎり,大きな問題をひき起こす。なぜなら,〈ひき起こす〉ということも〈力〉も,経験の中に見いだすことはできないから。われわれが経験の中に見いだすことができることは,事象Aが起こった,そしてそれにひき続いて,事象Bが起こった,ということのみである。そこでヒュームは,因果関係から〈ひき起こす〉とか〈力〉とかいう概念を排除し,それは〈恒常的連接〉という関係にほかならないとした。すなわち,事象Aと事象Bの間には因果関係がある,ということは,事象Aが起こればつねにそれに伴って事象Bも起こる,ということにほかならない,というのである。ここでたいせつなことは,〈力〉とか〈ひき起こす〉とかいう概念を排除した代りに,〈つねに〉という概念,すなわち〈恒常性〉という概念が入り込んだということである。したがって,事象Aと事象Bの間には因果関係がある,ということは,より正しくは,事象Aのタイプの事象が起こればつねにそれに伴って事象Bのタイプの事象も起こる,ということにほかならない,ということになる。ここに〈事象Aのタイプの事象が起こればつねにそれに伴って事象Bのタイプの事象も起こる〉ということは,そこに一つの法則を主張することである。この種の法則は一般に〈因果法則law of causality〉といわれる。したがってヒュームは,因果関係を説明するのに,〈力〉に代えて〈因果法則〉をもってした,というわけである。ところで,〈因果法則〉には種々さまざまあるが,それらの背後には一つの原理が横たわっている。それは,〈同一タイプの原因にはつねに同一タイプの結果が伴う〉ということであり,〈因果原理〉とか〈因果律〉とかといわれるものである。そしてこの〈因果原理〉の普遍妥当性を主張する世界観を〈因果的決定論〉という。〈動いているものはすべて,他のあるものによって動かされているのだ〉というアリストテレスの主張は,その一例である。しかしこの因果的決定論は,慣性の法則を主張したガリレイとニュートンによって,さらには今日の量子力学によって,決定的にその不成立が示されている。
→因果律 →決定論
執筆者:黒崎 宏
ある結果がある行為のゆえに発生したものといえること。
因果関係は,刑法上は,既遂犯成立のための要件である。たとえば,殺意をもってピストルの引金を引く行為と被害者の死との間に因果関係が存在しない場合には殺人未遂罪(刑法203条)しか成立せず,突き飛ばすという暴行と被害者の傷害との間に因果関係が存在しないときには傷害罪(204条)は成立せず,暴行罪(208条)で処罰しうるのみである。過失犯の未遂は多くの場合処罰されていないから,因果関係が肯定しえない場合には行為者は不可罰となる。たとえば,有害物質を河川に放流する行為と被害者の傷害・死亡との間に因果関係が肯定しえない場合は,過失傷害罪・過失致死罪(209~211条)では処罰しえない。
因果関係が肯定されるための第1の要件は,〈当該行為が行われなかったなら当該結果は発生しなかったであろう〉という条件関係の存在である。たとえば,突き飛ばされて倒れた被害者が死亡した場合,死因が頭部外傷による脳クモ膜下出血なら条件関係はあり,それが脳腫瘍の自然の経過によるものであるときは条件関係はない。しかし,条件関係の存否は,つねに確実なものとして判断しうるわけではない。とくに公害事件(公害裁判)における因果関係がそうである。工場が亜硫酸ガスを排出し,風下の人間が喘息(ぜんそく)に罹患したという事実が確定されたとしても,被害者が吸引して喘息の原因となった物質は,車の排気ガスあるいはタバコの煙かもしれない。このような場合,亜硫酸ガスの排出がなければ結果が発生しなかったであろうという条件関係の証明は,自然科学等の経験則を総動員して行われる。いわゆる疫学的証明も,このような場合のひとつである。しかし,証拠の優越で足りるとされる民事裁判におけるのと異なり,刑事裁判においては〈疑わしきは被告人の利益に〉の原則が妥当するために,条件関係の存在に合理的な疑いが残るときは,その証明がなかったものとしなければならない。〈人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律〉5条の因果関係の推定規定は,これに対する例外を認めようとするものである。さらに,自然科学的法則そのものが確定されていないときには,より困難な問題が生ずる。条件関係は,自然科学法則に従って行為から結果が生じたという自然的・事実的因果関係であるから,自然科学法則が未確定の場合には因果関係を肯定しえないという見解もあるが,上述のように,自然科学法則は,裁判所が条件関係を認定するための経験則なのであるから,裁判所が正当と信ずる自然科学法則を採用することについての,このような制約は存しないと考えるべきである。
条件関係だけで刑法上の因果関係を肯定しうるとする説を条件説という。しかし,条件説によるなら,雷に打たれて死ぬことを期待して被害者に山に行くことを勧めたら,ほんとうに落雷で彼が死亡してしまったという場合にも殺人罪を,また,被害者に暴行を加えたところ,彼には心臓病があったため死亡してしまったという場合についても傷害致死罪(205条)を認めざるをえなくなる,として,相当因果関係説が判例・学説上とられている。それによれば,当該行為がそのような経過をたどって当該結果に至るのが経験上相当であるときでなければ,条件関係はあっても因果関係は肯定しえない。だが,どの程度異常な経過であれば相当因果関係が否定されるのか,行為者の主観をも考慮に入れたうえでこれを判断するのか,という2点について学説には争いがある。最高裁判所の判例は,被告人に車を衝突させられ負傷した被害者が被告人運転の自動車の屋根の上にはねあげられ,助手席にいた第三者がこれを道路上に引きずりおろして死亡させた事案につき,被告人の行為と被害者の死亡との間の因果関係を否定し過失傷害のみを認めたが,学説では批判が強い。他方,最高裁は,傷害致死罪,強盗致死罪のような結果的加重犯の場合に,被害者の宿痾は,行為者がそれを知らなくても,相当因果関係を否定する理由とはならない,としている。
執筆者:町野 朔
民法では,主として債務不履行,不法行為による損害賠償の分野で用いられる概念であって,損害の発生の原因となる行為(契約違反または侵害行為)と損害との間の関連性をいう。これについては事実的因果関係(自然的因果関係)と相当因果関係とが区別される。事実的因果関係とは,損害賠償が認められるための大前提をなすものであって,行為と損害との間に事実上のまたは科学的な原因結果の関係が認められること,いいかえると,その行為がなかったとするとその損害が発生しなかったといいうることを意味する。たとえば,交通事故において加害者の自動車が真実その歩行者をはねたか否かが事実的因果関係の問題である。事実的因果関係の存在はまったく当然のこととして特別には意識されないことがあるけれども,公害事件,医療過誤事件等においてはこの事実的因果関係の存否が最重要の争点となることも少なくない。たとえば,その公害企業の排出する汚染物質によって被害者に健康被害が生じたか否か,また,その医薬品の服用によって患者にそのような症状が生じたか否かという問題,すなわち事実的因果関係の存否が重要な問題点となることがある。
他方,相当因果関係とは事実的因果関係が認められる損害について,その損害を損害賠償の対象とすべきか否かに関する法的価値判断の問題である。たとえば,交通事故によって負傷した被害者が前途を悲観して自殺した場合,あるいは,事故による傷害の程度それ自体は重大なものではなかったけれども被害者が罹患していた病気と重なって死亡したような場合に,加害者に対して死亡についても責任を負担させるべきかどうかは,損害賠償制度の目的,社会的相当性を基礎とした法的価値判断によって決せられるべき問題である。その判断基準としては,多くの場合,その行為からその結果を生ずることが通常であるか否か,また通常でない場合にはその結果発生が予測可能であったか否かということが重要な役割を果たしているが,実際の裁判においてはしばしば困難な問題となる。ちなみに,事故と自殺との関係については,死亡についてまでは因果関係を肯定しないのが判例の態度ではあるけれども,下級審の判決ではこれを肯定するものも散見される。また,被害者の体質,持病との競合については,死亡について一定割合だけ責任を認め(たとえば,30%だけ死亡について加害者の責任とする),中間的な解決をはかる裁判例もある(割合的因果関係または因果関係の割合的認定)。なお学説では,事実的因果関係と相当因果関係の意味・機能の差異を重視して,相当因果関係が対象とする法的価値判断の問題を不法行為制度あるいは契約による被害者または債権者保護の問題であるとして,〈保護範囲〉という相当因果関係とは異なる基準によってこれを解決しようという考え方が有力となっている。
→損害賠償
執筆者:栗田 哲男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ある事実と他の事実との間に原因と結果の関係、いいかえれば、ある事実から他の事実が引き起こされたという関係をいう。因果関係の概念は科学や哲学の領域でも論じられるが、法律上では、とくに刑事責任や民事責任など法的責任の範囲を客観的に限定するうえで、因果関係はきわめて重要な役割をもつ。すなわち、ある結果に対して行為者に法的責任を追及するためには、行為と結果との間に因果関係が存在することを要し、これが認められない場合には不可抗力にすぎないから法的責任を問いえない。
[名和鐵郎]
法律上の因果関係をどのように理解すべきかについては、従来から、大きく条件説と相当説(または相当因果関係説)との対立がある。条件説によれば、法律上の因果関係は、行為と結果との間に「AがなかったらBもなかったであろう」という条件関係conditio sine qua non(ラテン語)があれば足りるものと解される。この見解に従えば、結果に対してなんらかの自然的条件をなすものはすべて因果関係ありということになる。たとえば殺人犯の母親は、この犯人の殺人に対して因果関係があることになる。これでは因果関係の範囲があまりにも広がりすぎる。そこで、条件説における因果関係を限定しようとする立場から、条件説における条件関係の存在を前提としつつ、このなかから、一般経験則に照らして、その行為からその結果が発生することが相当であるとみられる場合にのみ、法律上の因果関係を認めようとするのが相当説である。ただ、相当説にも、その相当性をどのような事情(資料)を基礎として判断すべきかについて次のような3説がある。すなわち、行為当時に行為者が現に認識していた事情または認識しえた事情を基礎とする主観説、行為当時に客観的に存在していた事情および行為後の事情でも予見可能なものをも含めて基礎とする客観説、行為当時、一般人に認識しえた事情および行為者が現に認識していた事情を基礎とする折衷説がそれである。
以上の諸説のうち、学説上は、従来、折衷的相当説が通説的立場を占めていた。そして実際、民事判例においては相当説が採用されている。しかし、刑事判例では、大審院やかつての最高裁判所は基本的には条件説的立場によるものとされてきた(ただし下級審には相当説によるものも少なくない)。1967年(昭和42)の米兵ひき逃げ事件最高裁判決が相当説を思わせる表現を用いたこともあって、その後、刑事判例も相当説に移行するのではないかという観測が広がった。しかし、最高裁は折衷的相当説を採用しないことを明言したうえで、実行行為における「行為の危険」(行為が、それ自体として犯罪結果を発生させる危険性を有すること)に着目して独自の見解を採用するに至っている。この見解によれば、因果関係とは「危険とその実現」、すなわち、行為の危険が結果に現実化したといいうるかという問題であるから、行為の危険が大きければ大きいほど、かりに行為後に介在した特殊な事情によって結果発生が早まったとしても、因果関係は否定されないことになる。このような最高裁の見解は、相当説の立場から、経験則による判断方法を示したものであって、相当説自体と矛盾するものではないと解されている。
なお、戦後の公害事件を契機として、科学的なメカニズムが解明されていない事案に関して「疫学的因果関係」、すなわち、疫学上の統計的手法を導入して、行為と結果との間に一定の蓋然(がいぜん)性が認められれば足りるとする考え方がみられる。このような疫学的因果関係論については、損害の公平な分担を目的とする民事事件については支持する者も多いが、刑事事件に関しては「疑わしきは被告人の利益」という基本原則に反するとして批判も根強い。
[名和鐵郎]
ヨーロッパ流の原因と結果の関係をいうが、原因・結果の概念は日常生活でもよく使われているものであり、改めて解説するには及ぶまい。ただし、哲学者のなかには、この概念の使い方に制限を付け加える者があるので、まずその点を紹介する。右手をあげようと思えば普通は右手があがるし、また空腹になればいらいらすることも多い。このように、精神の状態が原因となって身体の運動が結果し、また逆に身体の状態が原因となって精神の状態の変化が結果することは、普通はあたりまえのことと考えられている。しかし、古典物理学では、物体の運動を記述するときに精神に言及することはなく、すべて物質に関する概念だけを用いてこの記述を行う。ここから、物体の一種である身体の運動もまったく物質的なものであり、したがって心身の間に因果関係を認めるのは間違いだとする考えが生まれる。この考えを奉ずる哲学者にとっては、先ほど例にあげた心身の相関を、因果の概念を使わずに説明するには、どうしたらよいかという問題が生ずる。これが心身問題の一つの発端である。
よく、自然科学では、変化や運動を支配する法則を微分方程式の形で与える。このとき、初期条件が決まればすべての時刻における状態が決まることが多いので、初期条件を原因、注目している時刻における状態を結果ということがあるが、この初期条件は未来の時刻のものでもよいので、この際の原因・結果の概念は、日常生活のものとはすこしずれる。
さて、日常生活で、二つの事象A、Bの間に因果関係を認めるようになるのは、Aが生じたのちBが生ずるということが繰り返し観察されたのちであることが多い。しかし、このような繰り返しがあったからといって、将来もAに続いてBがおこると期待できるかといえば、かならずしもそうではないことは、よく経験されているところである。ここから、現在は確立されているようにみえる因果関係も、将来の経験によって破られるおそれがあるのではないかといわれることがある。とくに18世紀イギリスの哲学者ヒュームがこのことを指摘したので有名である。統計学は、この指摘を受け入れ、因果関係を相関関係に置き換えたうえで、相関関係の推定も絶対に正確ではないとし、さらにこの推定の精度をなるべく高めることを目ざしているといえる。このように、因果関係をめぐっては種々な立場から哲学的な議論が行われている。
[吉田夏彦]
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