シュテルン(Otto Stern)(読み)しゅてるん(英語表記)Otto Stern

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

シュテルン(Otto Stern)
しゅてるん
Otto Stern
(1888―1969)

ドイツ(現、ポーランド)のソラウ生まれの物理学者。ブレスラウ大学で物理化学の博士号をとり、ただちにプラハ大学へ行き、そこで会ったアインシュタインに従い、1年後チューリヒ大学へ移る(1913)。フランクフルト大学、ロストック大学準教授を経て、1923年からハンブルク大学教授となった。ナチス体制下で予想された免職前に、ユダヤ系の研究協力者解雇に抗議して辞職し、アメリカに渡り、1933年から1945年の退職までカーネギー大学研究教授。遍歴時代は統計熱力学量子論の理論面でいくつかの論文を発表、1919年ころからそれらの理論の基礎概念の実験確証に関心を向け、分子線の方法によりまず気体分子の速さを決め、理論との一致を確認した。次にゲルラハと銀原子磁気モーメントを測定し、方向量子化を確認(1921)。さらに分子線による干渉効果を観測し、また陽子の大きな異常磁気モーメントを発見した。これらはいずれも量子力学的効果を明瞭(めいりょう)に示すものであった。これらの業績により1943年のノーベル物理学賞を翌1944年に受けた。

[藤井寛治 2019年1月21日]

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