細い線束となって真空中を直進する中性分子の流れ。分子ビームともいう。構成粒子が単体原子の場合には原子線とよばれる。分子線は、真空中に置かれた気体容器にあけた小さな孔(あな)や細い管状の開口部から気体を噴出させ、いくつかのスリット(すきま)やノズルを通過させることでつくられる。分子線の特性は、気体分子が互いに衝突するまでの距離(平均自由行程)と開口部の大きさとの大小関係によって決まる。開口部の大きさに比べて平均自由行程が大きな気体からつくられる分子線を「もれ出し分子線」とよぶ。もれ出し分子線では、気体分子が開口部を通過するときに分子間衝突がおこらないため、分子線の内部状態温度(振動・回転温度)や速度分布は容器内の気体と同じである。一方、開口部の大きさに比べて平均自由行程が小さな高圧力の気体を噴出させた場合、速度や方向のそろった強度の大きい超音速自由噴流が生じる。この流れの一部を円錐(えんすい)形のような特殊形状のノズルを用いて真空中に取り出したものが「超音速分子線」である。超音速分子線では、気体分子が開口部を通過するときにおこる多数回の分子間衝突によって分子の速度がそろうため、速度分布は狭くなる。また、真空中への断熱膨張により分子の内部エネルギーの一部が並進運動エネルギーに変換されるため、分子の内部状態温度が冷却される。
分子線の歴史は、1911年にフランスの物理学者デュノワイエLouis Dunoyer(1880―1963)によって行われたナトリウム原子線による気体の直進性の証明実験から始まった。1921年、O・シュテルンらは銀原子線を不均一な磁場に通す実験を行い、磁気モーメントの方向量子化(角運動量や磁気モーメントの一成分が、とびとびの値をとること)を発見した(シュテルン‐ゲルラハの実験)。その後1938年、I・I・ラービによって分子線磁気共鳴法が開発され、分子磁気モーメントの精密測定が可能となった。1954年には、分子線を利用したアンモニアメーザー(マイクロ波のレーザー)がC・H・タウンズらによって実現され、レーザーの基礎が築かれた。また、分子線の技術は化学反応の基礎過程を研究する分子線どうしの交差衝突実験にも応用され、成功を収めた。Y・T・リーはこの方法の開発と一連の化学反応素過程の動力学的研究の成果により、D・R・ハーシュバック、J・C・ポランニーとともに1986年のノーベル化学賞を受賞した。
分子線の利用は多岐にわたっている。基礎研究の分野では、原子・分子の衝突実験、分子分光、表面物性の研究に用いられ、目的に応じた分子線技術が開発されている。たとえば、強電場を用いた分子線の減速技術を利用して摂氏マイナス270度以下の分子線がつくられ、低温での化学反応の研究や分子の精密分光研究に応用されている。一方、産業分野では、強度や方向を精密に制御した分子線が半導体の結晶成長法(分子線エピタキシー法)に利用されている。分子線エピタキシー法を用いると、複数の分子線を切り替えて組成の異なる半導体結晶を積層させることができるため、半導体レーザーや発光ダイオードの製造に広く応用されている。
[岡田邦宏 2017年6月20日]
電荷をもたない中性分子からできた粒子の流れ。高真空中に気体分子を吹き出させ,狭いスリットを何回か通過させてほぼ平行にしたもの。原子線atomic beamは単原子の分子線に相当する。原子線や分子線を利用した研究としては,磁場による銀の原子線分岐を観測し,電子のスピン導入の糸口となったシュテルン=ゲルラハの実験(1921)がよく知られているが,この方法はその後,分子や原子の微細なエネルギー構造を研究する磁気共鳴法へと発展した。このほか,アンモニアメーザーなどへの利用もあり,また最近では,分子線を利用して,シリコンなどの表面に,必要な分子を下地と整合性を保ちながら成長させる分子線エピタキシー法(MBE。molecular beam epitaxyの略)により,IC(集積回路)やLSI,超LSIなどを製作する技術が急速に発達しつつある。
→核磁気共鳴 →電子スピン共鳴
執筆者:細谷 資明
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