シーボルト宅跡(読み)シーボルトたくあと

国指定史跡ガイド 「シーボルト宅跡」の解説

シーボルトたくあと【シーボルト宅跡】


長崎県長崎市鳴滝町にある邸宅跡。旧市街東郊の自然林を背後にした閑静な場所に所在する。近世における洋学の発展に関わる遺跡として重要であることから、1922年(大正11)に国の史跡に指定され、1970年(昭和45)、市道拡幅で削られた部分が指定解除された。シーボルトは1796年(寛政8)、ドイツのバイエルン州ヴュルツブルクの医学者の家に生まれ、ヴュルツブルク大学時代には医学をはじめ、植物学、動物学、地理学などさまざまな学問を修め、1823年(文政6)に東インド会社の出島商館医師として27歳の時に来日。滞在中は其扇(そのぎ)(楠本滝)という女性と結婚し、一女イネ)をもうけたが、6年後の1829年(文政12)、幕府から追放処分を受けて帰国(シーボルト事件)。その間、鳴滝塾を開き日本の若者を教育し、帰国後は日本から持ち帰った資料の整理を行い、『日本』『日本動物誌』『日本植物誌』のいわゆるシーボルト3部作を刊行。1845年(弘化2)に再婚して3男2女をもうけ、2度目の来日は1859年(安政6)、長男のアレクサンダーをともなった2年7ヵ月の滞在で、その間長崎で開業医をしていたイネとも再会。帰国4年後の1866年(慶応2)にミュンヘン生涯を閉じた。邸宅は1894年(明治27)に解体され、現在は井戸2ヵ所とシーボルト手植えの木が残るのみである。1989年(平成1)に邸宅跡の隣にシーボルト記念館が開館した。JR長崎本線長崎駅から長崎電気軌道「新中川町」下車、徒歩約5分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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