アレクサンダー(読み)あれくさんだー(英語表記)Samuel Alexander

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アレクサンダー」の意味・わかりやすい解説

アレクサンダー
あれくさんだー
Samuel Alexander
(1859―1938)

イギリス実在論的哲学者。オーストラリアに生まれ、イギリスのオックスフォード大学に学ぶ。マンチェスター大学教授。生理学的心理学の成果に基づき、科学の一種としての経験論的形而上(けいじじょう)学体系の構築を試みた。実在根源は四次元的連続体である時空間、とくに時間であり、世界はこれを母胎として、「偶発物」emergentが生成進化する過程であると考えた。カントの強い影響を受けながらも、認識は世界を静観contemplateし、意識する主体としての精神作用と意識される客観的対象との間の共存関係を看取することにある、と考えることによってカントを批判した。主著は『空間・時間・神性』(1920)。

[宮下治子 2015年7月21日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アレクサンダー」の意味・わかりやすい解説

アレクサンダー
Alexander, Grover Cleveland

[生]1887.2.26. ネブラスカ,エルバ
[没]1950.11.4. ネブラスカ,セントポール
アメリカ合衆国のプロ野球選手。コントロールのよさに定評があり,大リーグ史上最強の右腕投手の一人といわれた。 1911~17年および 1930年フィラデルフィア・フィリーズ,1918~26年シカゴ・カブズ,1926~29年セントルイス・カーディナルズにそれぞれ在籍。通算 373勝 (別集計によると 374勝) 208敗。 1916年には 33勝を上げ,そのうち 16勝を完封で飾り,大リーグ年間最多完封勝利数を記録。通算完封勝利数は 88とも 90ともいわれている。 1938年野球殿堂入り。

アレクサンダー
Alexander, Samuel

[生]1859.1.6. シドニー
[没]1938.9.13.
イギリスの哲学者。メルボルン大学,オックスフォード大学で学び,1888年"Moral Order and Progress"でグリーンの道徳哲学賞を獲得。オックスフォード大学にフェローとして残ったが,90~91年ドイツへ行き,フーゴー・ミュンスターベルクのもとで心理学を学び,93年イギリスに戻りマンチェスター・オーエンズ大学の哲学教授となった。彼はカント哲学の影響のもとに批判的実在論を提唱。時間,空間を実在の母胎として考え,新実在論の立場から独特の形而上学を展開した。主著"Space,Time and Deity" (1920) ,"Beauty and Other Forms of Value" (33) 。

アレクサンダー
Alexander, Harold (Rupert Leofric George), 1st Earl Alexander of Tunis

[生]1891.12.10. ロンドン
[没]1969.6.16. バッキンガムシャー,スロー
イギリスの軍人,将軍。 1940年ダンケルク撤退を指揮。 42年8月イギリス中東軍総司令官。 43年7月シチリア島進攻を,10月イタリア作戦を指揮し,44~45年イタリア戦線の連合軍総司令官。陸軍元帥。戦後カナダ総督,52~54年保守党内閣の国防相。

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