ジュネーブ極東平和会議(読み)ジュネーブきょくとうへいわかいぎ(英語表記)Far Eastern Peace Conference at Geneva

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジュネーブ極東平和会議」の意味・わかりやすい解説

ジュネーブ極東平和会議
ジュネーブきょくとうへいわかいぎ
Far Eastern Peace Conference at Geneva

1954年4月 26日~7月 21日スイスのジュネーブで開かれた朝鮮インドシナの平和に関する外相級の会議。略して,ジュネーブ会議ともいう。同年1~2月のアメリカ,イギリス,フランス,ソ連の4ヵ国外相のベルリン会議での合意に基づき,前年7月成立した停戦協定に続く朝鮮の平和的統一問題と,46年以来戦争が続いていたインドシナ問題の解決のために招集された。朝鮮問題討議には国連勧告によって朝鮮戦争に派兵した参戦 16ヵ国 (南アフリカ共和国は不参加) と韓国,共産側からソ連,中国,北朝鮮が参加して4月 26日から6月 15日まで行われ,統一に関する韓国案,北朝鮮案,西欧案などが出されたが,全朝鮮選挙の実施方法,同選挙の監視方法 (西欧案は国連による,共産側案は中立国による) などについて対立し,なんら合意もなく終った。一方,インドシナ問題の討議にはアメリカ,イギリス,フランス,ソ連,中国,北ベトナム (ホー・チ・ミン政権) ,南ベトナム (バオ・ダイ政権) ,ラオスカンボジアの9ヵ国が参加,5月8日から7月 21日まで行われた。初め停戦問題を先に解決しようというフランス提案と,政治問題が先決である (ベトナム全土にわたるホー政権の主権承認など) というホー政権提案とが対立し,また停戦監視についても主張が分れたが,ディエンビエンフー陥落戦況がフランスに不利となり,また停戦を前提としたフランスの P.マンデス新内閣の発足などで交渉が進み,7月 21日ベトナム協定,ラオス協定,カンボジア協定の3協定とジュネーブ会議参加国最終宣言 (アメリカと南ベトナムは不調印) が成立した。

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