ディエンビエンフー(その他表記)Dien Bien Phu

デジタル大辞泉 「ディエンビエンフー」の意味・読み・例文・類語

ディエン‐ビエン‐フー(Dien Bien Phu)

ベトナム北西部、ディエンビエン省の都市。同省の省都ラオスとの国境近くの谷間に位置する。1954年にベトナム軍がフランス軍を大敗させ、インドシナ戦争終結をもたらした地。フランス軍の総司令部跡や最後まで立てこもった塹壕ざんごう陣地跡や、2004年に戦勝50周年を記念して立てられた記念像などがある。

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精選版 日本国語大辞典 「ディエンビエンフー」の意味・読み・例文・類語

ディエン‐ビエン‐フー

  1. ( Dien Bien Phu ) ベトナム北西部、ラオスとの国境に接する都市。一九五四年、インドシナ戦争でフランス軍が降伏、休戦した地。

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改訂新版 世界大百科事典 「ディエンビエンフー」の意味・わかりやすい解説

ディエンビエンフー
Dien Bien Phu

ベトナム北西部,トンキン山地のラオス国境近くの山間盆地にある町。タイチャン峠を越えてトンキン地方北部からラオス北部へ入る街道に沿う戦略上の要衝。第2次大戦後ホー・チ・ミンの率いるベトナム軍は,植民地再支配をねらう旧宗主国フランスとの衝突をくり返し,ラオス方面への進出を企てた。これに対しフランス軍はナバール将軍指揮下に精鋭部隊をこの地に送り,ラオスを防衛しようとし,空輸により戦力を強化した。ベトナム軍はボー・グエン・ザップ指揮下にこれを包囲し,1954年3月から5月にわたり激戦を展開,ついにフランス軍は5000余の死傷者を出し,残りは降伏した。フランス軍はベトナム軍の目的が民族の完全独立にあることを理解しえず,これが敗因となったとされる。この戦いはベトナム情勢に決定的影響を及ぼし,同年7月のジュネーブ休戦協定(ジュネーブ会議)の締結となり,北緯17度線を軍事境界線とすることがきめられることとなった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ディエンビエンフー」の意味・わかりやすい解説

ディエン・ビエン・フー
でぃえんびえんふー
Dien Bien Phu

ベトナム北西部、ラオスとの国境に接した、ライチャウ省(人口58万9000。1999)南部にある都市。周辺を2000メートル級の山に囲まれた標高460メートルの盆地に位置する。人口約4万6000。古くから交通・軍事上の要地で、とくにメオやタイなどの山地民族との関係が深かった。ボー・グエン・ザップ将軍の率いるベトナム軍とド・カストリ将軍の率いるフランス軍がこの地で対決し、1954年3~5月にわたる55日間の戦いののち、ベトナム軍が勝利を収めた。この戦いの結果、同年7月にジュネーブ協定が締結され、フランスのインドシナ支配の終焉(しゅうえん)をもたらした。市内には戦勝記念博物館がある。戦後は、社会主義農業の先端をいく国営農場が設置され、軍人が入植し、西北少数民族自治区に組み入れられた。この地方に多いメオ人は、かつては大規模にケシを栽培していたが、今日では豆類の生産も行っている。

[菊池一雅]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ディエンビエンフー」の解説

ディエンビエンフー
Dien Bien Phu

ベトナム北部のラオスとの国境近くにある盆地の町。ムアンテーンと呼ばれ,古くから黒タイ族居住地だった。インドシナ戦争末期の1953年,フランス軍はベトナム民主共和国軍の主力をおびき寄せるためにここに大規模な陣地を構築した。しかし,ベトナム軍が盆地周辺の山地に大型火器を配備したためフランス軍は苦戦し,54年5月7日同地のフランス軍は降伏した。このディエンビエンフーの戦いは,おりからジュネーヴで開催されていた和平会議に大きな影響を与えた。

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百科事典マイペディア 「ディエンビエンフー」の意味・わかりやすい解説

ディエンビエンフー

ベトナムの北西部,ラオスとの国境に近い町。標高1000〜1500mの山地に囲まれた盆地にあり,タイ系の住民米作,牧畜に従事する。1954年にインドシナ戦争で敗れたフランスが最後の拠点をおいた地。約5万5000人(1985)。→ディエンビエンフーの戦

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ディエンビエンフー」の意味・わかりやすい解説

ディエンビエンフー
Dien Bien Phu

ベトナム北西部,ライチャウ省南西部の町。首都ハノイの西約 300km,山岳と密林に囲まれたムオンタイン盆地にあり,ラオスとの国境に近い。第1次インドシナ戦争の末期,ディエンビエンフーの戦いの舞台となり有名になった。住民にはタイ族が多い。砕石を敷いた1本の道に沿って茅ぶきの家が並ぶ程度の小さな町であるが,市場が開かれる日には周辺の山地から少数民族が集り,にぎわいをみせる。ハノイとの間に空路が開けている。

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デジタル大辞泉プラス 「ディエンビエンフー」の解説

ディエンビエンフー

西島大介による漫画作品。1960年代、ベトナム戦争中の従軍カメラマンの少年とゲリラの少女の恋を描く。『Comic新現実』『IKKI』で連載後、未完のまま連載が終了(2004年~2016年)。2017年から双葉社『月刊アクション』に移籍し、「ディエンビエンフー TRUE END」として連載開始。2018年9月号で連載終了。小学館IKKI COMIX全12巻、双葉社アクションコミックス新装版全6巻+TRUE END全3巻。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ディエンビエンフー」の解説

ディエンビエンフー
Dien Bien Phu

ヴェトナム社会主義共和国の北西部,ラオスとの国境近くにある都市
交通・軍事上の要地で,インドシナ戦争中の1954年,フランス軍とヴェトナム人民軍との激しい攻防戦が展開され,フランス軍が大敗した。

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世界大百科事典(旧版)内のディエンビエンフーの言及

【ラオス】より

…この戦闘部隊をパテト・ラオと呼ぶ)を結成し,臨時抗戦政府をサムヌア省に樹立した。54年ベトナムにおけるディエンビエンフーの勝利を可能にしたのは,パテト・ラオ勢力がラオス北部のポンサリ省とサムヌア省を解放区としていたことが大きかった。1953年10月に王国政府はフランスとの間で〈友好連合条約〉を結び,これによってラオスは完全独立を達成した。…

※「ディエンビエンフー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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