1954年,第1次インドシナ戦争の終結を決めた国際会議。朝鮮戦争の解決もはかったが失敗した。1946年以来の新生ベトナム民主共和国とフランスとの間の第1次インドシナ戦争は50年以降,米中ソの介入により急速に冷戦構造の中に巻き込まれていった。しかし米ソの軍事的均衡,平和運動の高揚,非同盟外交の発展,戦局の行詰りから,54年1~2月のベルリン4国(米英仏ソ)外相会議は,4月にジュネーブで中国を加えた国際会議を開くことを決めた。さらにインドシナ4国(ベトナム民主共和国,バオダイ・ベトナム,ラオス,カンボジア)の参加が認められた。5月8日,ディエンビエンフーの陥落直後に開会された会議は,ベトナムの即時独立と統一選挙の実施を主張する民主共和国(代表ファム・バン・ドン)と,軍事境界線を設定してベトナムを二分しようとするフランスとの間に対立が続いたが,非公開会議におけるイギリス(代表イーデン),中国(代表周恩来),ソ連(代表モロトフ)の仲介と,フランス政変によるマンデス・フランスの登場により,7月21日,ベトナム,ラオス,カンボジアにおける敵対行動停止に関する3協定が調印された。この結果,(1)北緯17度線を軍事境界線とし,ベトナム人民軍(民主共和国軍)はその以北に,フランス,バオダイ・ベトナム軍は以南に集結し,8月末までにいっさいの軍事行動を停止する,(2)協定履行のためのカナダ,インド,ポーランドからなる国際監視委員会の設置などが決まった。ベトナムの統一については7月21日の最終宣言によって,56年7月に全国統一選挙が実施されることになった。しかしアメリカは最終宣言への参加を拒否し,バオダイは休戦条約に反対し,このためジュネーブ会議でもたらされた平和は,同時にベトナムの分裂を長期に固定するものとなった。それにもかかわらず,ジュネーブ会議は翌年のアジア・アフリカ会議(バンドン会議)とともに,第2次大戦後のアジア民族運動の正統性と勝利の国際的な承認としてきわめて高い評価を与えられる。
執筆者:桜井 由躬雄
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…これを契機に,国連の下部機構として原子力の国際管理を目的とした国際原子力機関(IAEA)が57年に創立された。55年にはジュネーブで国連の主催による原子力平和利用のための国際会議(いわゆるジュネーブ会議)が開かれ,原子力発電技術の内容,世界的ウラン資源の賦存状況などが公開された。54年にソ連では初の原子力発電所(5000kW)の運転が開始されている。…
…原子力平和利用国際会議は,国際連合主催でその第1回会合は1955年に開催された。開催地がこれまでジュネーブであったため,通称ジュネーブ会議と呼ばれている。この原子力平和利用国際会議は,原子力開発の歴史とともに,漸次その性格を変え,時の原子力開発の社会背景と深いかかわりを持った。…
…フランス側の軍事努力は限界に達し,政治解決が急速に進した。7月21日,ジュネーブ会議は,(1)北緯17度線を境界として,南をバオダイ・ベトナム軍,北を民主共和国人民軍の集結地とする,(2)フランス軍は速やかに撤退する,(3)国際監視委員会の下に,56年7月統一選挙を行う,などを骨子とする平和条約を締結した。 カンボジアでは46年1月,フランス連合内での自治が許されたが,以後シアヌークはクメール・イッサラ,クメール抵抗派(ベトミン系)を攻撃するかたわら,フランスから軍事権,外交権を次々に奪還し,54年3月までに完全独立を達成した。…
…フランス軍は当初平野部の制圧に成功したが,チュオン・チンの人民戦線戦術によって,戦線は膠着化し,バオダイ・ベトナム国の擁立やアメリカの大量の軍事援助にもかかわらず,54年ディエンビエンフーに大敗して,撤退に追い込まれた。同年のジュネーブ会議により,ベトナムは北緯17度線を境に北を民主共和国,南をバオダイ・ベトナム国の統治にゆだね,3年後に統一選挙が施行されることになった。しかし翌55年バオダイを廃してベトナム共和国初代大統領に就任したゴ・ディン・ジェムは,アメリカの軍事・経済援助を背景に,南北分割の恒久化を図って民主共和国と対立し,一方,国内では土地改革に失敗して,旧ターディエン(借佃。…
…1953年10月に王国政府はフランスとの間で〈友好連合条約〉を結び,これによってラオスは完全独立を達成した。 54年のジュネーブ会議でまとめられたジュネーブ協定のなかのラオス条項は,休戦,外国軍の撤退,休戦監視委員会の設置,国内統一のための総選挙,パテト・ラオの北部2省への集結などを定めた。しかしアメリカは,東南アジア条約機構(SEATO)を発足させ,王国政府へ軍事援助を始めた。…
※「ジュネーブ会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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