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ジョイナー Joyner, Florence Griffith

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ジョイナー
Joyner, Florence Griffith

[生]1959.12.21. カリフォルニア,ロサンゼルス
[没]1998.9.21. カリフォルニア,ミッションビエホ
アメリカ合衆国の陸上競技選手。フルネーム Delorez Florence Griffith Joyner。7歳で走り始め,野原でウサギを追ってスピードを磨いた。1980年,コーチのボブ・カーシーの指導を受けるためカリフォルニア大学ロサンゼルス校に入学。1984年ロサンゼルス・オリンピック競技大会で 200mの銀メダルを獲得,鮮やかなマニキュアを塗った爪と人目をひく競技ウェアで注目を浴び,一躍マスコミの寵児となった。1988年のオリンピック選考会の 100mで,自己ベストを 0秒27上回る 10秒49の世界記録を打ち立てた。同 1988年のソウル・オリンピック競技大会では,100m,200m,400mリレーの 3種目で金メダル,1600mリレーで銀メダルを獲得。また 200mでは 21秒34の世界記録を樹立した。1988年にアメリカで最高のアマチュアスポーツ選手に与えられるサリバン賞を受賞。驚異的な記録のためステロイド使用疑惑をかけられたが,薬物検査では禁止薬物は検出されなかった(→ドーピング)。1989年の引退後,恵まれない子供たちのための基金を設立し,1993年から 1995年まで「健康に関する大統領諮問委員会」の共同委員長を務めた。1995年にアメリカ陸上競技界の殿堂入りを果たした。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ジョイナー Joyner, Henry Batson

1839-1884 イギリスの土木技術者。
1839年7月9日生まれ。明治3年(1870)政府の招き来日工部省,のち内務省にやとわれて東京-横浜間の鉄道建設に従事した。8年東京赤坂の官舎で日本最初の地震観測をおこなった。10年帰国。1884年11月23日死去。45歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

ジョイナー

没年:1884.11.23(1884.11.23)
生年:1839.7.9
明治期に来日したお雇い外国人。イギリス人技師。イギリスのノースウィック生まれ。土木技師としての修業をして鉄道建設に従事していたとき,日本政府に雇われ明治3(1870)年に来日し,鉄道工事の測量を担当した。4年から工部省測量司が設けられると測量助長に任命され,測量師長マクヴィンのもとで西洋式の測量技術を指導し,マクヴィンが測量業務を拡張するためイギリス人技師の雇い入れのために一時帰国したときは,測量師長の代理を務めた。7年に測量司が内務省地理寮(のち地理局)へと組織がえをした際,地理寮の測量師兼気象科専務となり,主として気象関係の業務に携わった。東京・赤坂の官舎で毎日午前午後の2回気象観測をしたことは,日本における気象観測の始まりとされている。10年帰国し,その翌年ブラジルのサンパウロに移って水道工事を始めたが,健康を害しイギリスで病死。<参考文献>荒川秀俊『日本気象学史』

(三好信浩)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

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