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ゼムスキー・ソボール zemskii sobor

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ゼムスキー・ソボール
zemskii sobor

中世ロシアの全国会議,国民会議。西ヨーロッパ諸国の身分制議会にほぼ相当する。イワン4世 (雷帝) 時代の 1566 (または 49) 年から 1682年のピョートル1世 (大帝) 即位の頃まで,和戦の決定,ツァーリの選出,内政改革など重要国務の審議の際,ツァーリまたは政府当局が招集した。貴族会議の構成員,上級聖職者,特権的大商人組合の代表など,まれには都市民,国有地農民,コサックの代表が参加した。 1598年リューリク朝が断絶した際,ボリス・ゴドゥノフをツァーリにつけ,1613年にはミハイル・ロマノフロマノフ朝初代のツァーリとして選出,49年には会議法典 (ソボールノエ・ウロジェニェ) を批准するなど,結果的にはツァーリ権力の伸張に努め,その確立とともに消滅した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ゼムスキー・ソボール
ぜむすきーそぼーる
Земский собор Zemskiy sobor ロシア語

16、17世紀にロシアで行われた身分制議会。全国会議と訳される。各身分の代表の意見を聞き、政府への支持を求めるため開かれた。1549年にイワン4世(雷帝)が招集した会議を初めとする。定期的でなく、必要に応じツァーリ(皇帝)の命令により、貴族会議、聖職者会議の構成員、政府高官と士族、大商人の代表を招集して開かれた。審議の対象は、ツァーリ選出、国内改革、宣戦・講和などの対外政策、新規課税、一揆(いっき)対策などであった。もっとも頻繁に開かれ、重要な役割を果たしたのは、17世紀初めの動乱時代からロマノフ朝初代のミハイルの時代である。歴代のツァーリは、不規則な諮問機関として利用するにとどまり、明確な組織、権限をもつことなく、絶対主義への移行とともに消滅した。[伊藤幸男]

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