改訂新版 世界大百科事典 「ミハイルロマノフ」の意味・わかりやすい解説
ミハイル・ロマノフ
Mikhail Fyodorovich Romanov
生没年:1596-1645
ロシアのロマノフ朝初代皇帝。在位1613-45年。動乱時代(スムータ)末期にゼムスキー・ソボル(全国会議)により皇帝に選出され,その協力を得て,まず国内秩序の回復に努めた。ロシア北西部とノブゴロドを占領し,さらにプスコフに迫っていたスウェーデンとは,1617年ストルボバの和議を結び,モスクワ近郊に攻め寄せていたポーランドとは,翌18年にデウリノの休戦を成立させた。一方,重税と農奴制の強化による内政の再建に着手し,シベリアの開発を推進した。しかしミハイルは生来病弱で,意志も弱く,統治能力を欠き,父フィラレート(フョードル1世のいとこ)が抑留地ポーランドから帰国した1619年以降33年まで,政治の実権は父の手に握られた。32年ポーランドに挑んだ戦いは,もろくも失敗に終わったが,これもフィラレートの意志によるものであった。
執筆者:伊藤 幸男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報