チェーザレ・ボルジァ(読み)チェーザレボルジア

山川 世界史小辞典 改訂新版 「チェーザレ・ボルジァ」の解説

チェーザレ・ボルジァ
Cesare Borgia

1475~1507

教皇アレクサンデル6世庶子ボルジァ家出身。1492年バレンシア大司教,93年枢機卿,98年教皇使節としてフランス王ルイ12世に使し,その信任を得る。ナヴァラ王の妹と結婚,ヴァレンティノワ公と称する。教皇領の拡大に努め,ロマーニャ地方を征服したが,父教皇の死後,新教皇ユリウス2世に捕えられスペインに送られた。1506年ナバラで戦死した。残忍な性格ではあるが学芸を愛護し,ルネサンス君主の典型ともみなされた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「チェーザレ・ボルジァ」の意味・わかりやすい解説

チェーザレ・ボルジア

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「チェーザレ・ボルジァ」の意味・わかりやすい解説

チェーザレ・ボルジア

ボルジア

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

367日誕生日大事典 「チェーザレ・ボルジァ」の解説

チェーザレ ボルジア

生年月日:1475年9月13日?
イタリアの政治家
1507年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のチェーザレ・ボルジァの言及

【ボルジア】より

…ルネサンス・イタリアの政治家。アルバノ司教で枢機卿のロドリゴ・ボルジア(後の教皇アレクサンデル6世)の庶子。1482年教皇シクストゥス4世の首席秘書官を皮切りに,最初は聖職者の道を歩み始める。父の教皇就任後,92年バレンシア大司教,93年枢機卿となり,教皇最良の相談相手となる。94年シャルル8世がイタリアを簡単に制圧し,力をまざまざとみせつける。この時の政治体制,国際外交や戦争がイタリアと彼に一つの転換の必要を悟らせる。…

※「チェーザレ・ボルジァ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android