チャハル(読み)ちゃはる(英語表記)Chakhar

日本大百科全書(ニッポニカ) 「チャハル」の意味・わかりやすい解説

チャハル
ちゃはる / 察哈爾
Chakhar

モンゴルの部名。15世紀にダヤン・ハンが内モンゴルを統一して、左右両翼6万戸(1万戸が一部)に分け、子弟を分封した際、左翼3万戸の一つとして設けられたのが始まりである。その死後チャハル部ハンが内モンゴル全部のハンとして君臨したが、16世紀中ごろ右翼のアルタン・ハンらの圧迫を避けて本拠をチャハルから興安嶺(こうあんれい/シンアンリン)の東に移した。リンダン・ハン(在位1603~34)のとき、右翼のハラチン部を滅ぼし、トゥメト、オルドス両部を従えて内モンゴルを統一したが、清(しん)の圧力を受けて興安嶺の西に移動、1635年清に滅ぼされた。清はその子孫を張家口(ちょうかこう)の北に移し、チャハル部の名を残したが、74年三藩(さんぱん)の乱のときチャハル部が反乱を企てたので、討伐されて自治権を失い、清直轄のチャハル八旗となった。中華民国成立後の1914年その地にチャハル特別区を置き、28年省に改められ、52年内モンゴル自治区に編入された。

若松 寛]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「チャハル」の解説

チャハル
Chakhar 察哈爾

モンゴルの部名。15世紀末のダヤン・ハーンによるモンゴル統一後,6万戸中の左翼3万戸の一つとして設けられ,大ハーンが直轄した。のち,右翼のアルタン・ハーンに圧迫されて大興安嶺の東に移った。リグデン・ハーンのとき再び西方に移動して右翼を破ったが,1634年にリグデンが死ぬと東から進出した満洲に降伏した。清朝は初めリグデンの子孫を王公としてチャハルを統治させたが,ブルニ親王の反乱鎮圧後,これを総管旗に編成して張家口(ちょうかこう)に駐在するチャハル都統を通じて直接支配した。その牧地は,1914年にチャハル特別区となり,28年にはチャハル省が置かれた。現在の中国内蒙古自治区シリンゴル盟南部とバヤンノール盟東部にあたる。

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改訂新版 世界大百科事典 「チャハル」の意味・わかりやすい解説

チャハル (察哈爾
)
Chakhar

中国,明代のモンゴルの直轄部で,挿漢とも呼んだ。嘉靖年間(1522-66)トゥメット部の圧迫を受けて遼東の辺外の地に移り,遊牧生活を送っていたので,モンゴル語辺域を意味するチャハルと呼ばれるようになったという。清に下り,一時遼寧省義県(錦州北方)付近に配置されたが,のち大同,宣化の辺外(長城線外)に配置され8旗に編成された。現在は内モンゴル自治区の一部となっている。
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