ドゥラーニー朝(読み)ドゥラーニーちょう(その他表記)Durrānids; Durrāni(Abdālī)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドゥラーニー朝」の意味・わかりやすい解説

ドゥラーニー朝
ドゥラーニーちょう
Durrānids; Durrāni(Abdālī)

アフガニスタン王朝 (1747~1818) 。 1747年,アフシャール朝ナーディル・シャー死後,同朝が崩壊するとアブダリー族のアフマッド・ハーン (→アフマッド・シャー・ドゥラーニー ) がアフガニスタンの支配者となった。同時にアブダリーという族名はドゥラーニーと改められたので,ドゥラーニーという王朝名が生れた。首都は 73年までカンダハールであったが,その後カブールに移された。この王朝は北西インドまで版図を広げたが,シク族の勢力増大とともにインドにおける支配力は次第に弱まった。一方ドゥラーニー朝の宰相を出していたバーラクザーイー族との争いがあり,1818年にこの王朝は分裂し,バーラクザーイー朝が出現した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

ビャンビャン麺

小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...

ビャンビャン麺の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android