ナーディル・シャー(読み)なーでぃるしゃー(英語表記)Nādir Shāh

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ナーディル・シャー」の意味・わかりやすい解説

ナーディル・シャー
Nādir Shāh

[生]1688.10.22. 北ホラーサーン,クブカン
[没]1747.6.19. クーチャン
イランアフシャール朝の創始者 (在位 1736~47) 。ナーディル・クリー・ベグと呼ばれ,アフシャール族山賊首領であったが,サファビー朝のアッバース3世を擁立して,トルコ,ロシアなどと戦ってたびたび破り,タハマースプ・クリー・ハンの称号を贈られた。しかし,1736年アッバース3世を廃してナーディル・シャーと称し,みずから王位についた。 38年より攻撃を東に転じて,アフガニスタンカンダハールカブールなどを占領し,さらにインドのムガル帝国と戦い,39年にはその首都デリーを略奪,有名な「くじゃくの王座」を持去った。残忍,野蛮であったため,47年ホラーサーンで反乱鎮圧にあたっていたある夜,天幕の中で暗殺された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナーディル・シャー」の意味・わかりやすい解説

ナーディル・シャー
なーでぃるしゃー
Nādir Shāh
(1688―1747)

イランのアフシャール朝の創始者(在位1736~47)。トルコ系アフシャール人の出身。サファビー朝のタフマースプ2世に仕え、アフガン人をイランから駆逐(くちく)、アゼルバイジャンをトルコから奪回して名声を得た。1732年、タフマースプを廃して、その幼児アッバース3世を擁立。36年には自ら即位して新王朝を開いた。インドに侵攻してムガル帝国の首都デリーを占領。ロシアからカスピ海南西岸の占領地を回収して国威を発揚した。しかし内政面では、疲弊した国民に重税を課したり、シーア派を奉じるイラン人をスンニー派に改宗させようとするなど幾多の失敗を犯し、ために各地で暴動、反乱が頻発した。47年、部下の手で暗殺された。

[羽田亨一]

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