ハトラ遺跡(読み)はとらいせき(その他表記)Hatra

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハトラ遺跡」の意味・わかりやすい解説

ハトラ遺跡
はとらいせき
Hatra

メソポタミアの古代都市ハトラの遺跡。1985年に世界遺産の文化遺産(世界文化遺産)として登録されたが、イスラミック・ステートIS、イスラム国)により破壊されたことを受け、2015年には危機遺産リスト入りしている。現在イラク共和国に属し、モスールの南西133キロメートルにある。20世紀初めに調査されたが、1951~1954年にイラク考古局が本格的に発掘調査した。宮殿神殿を中心に周囲約6.4キロメートルの城壁によってほぼ円形に囲まれ、その外側に幅広い堀が巡らされていた。セレウコス朝時代から発達し、パルティア帝国傘下に入っても独立の軍事・交易都市として繁栄した。ローマ帝国の数度の攻撃にも屈服しなかったが、240年ごろササン朝ペルシアに征服され、のち廃墟(はいきょ)となった。ハトラ美術について、かつては後期パルティア式とされたが、近年はギリシア・ローマ、パルティアの影響とともに土着のセム系の濃い特色が指摘されている。

[小玉新次郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハトラ遺跡」の意味・わかりやすい解説

ハトラ遺跡
ハトラいせき
Hatra

イラク北部,ワディ・タルタルの砂漠にあるパルティア帝国時代の都市遺跡。発掘および復元は 1951年以来イラク考古総局によって行なわれている。二重の円形城壁と堀によって防御され,五つの正門をもっていた。都市の中央部には東面する長方形の広場があり,その奥に八つのドームをもつ宮神殿が構築されていた。ほかに宮殿,十余の神殿,住宅,塔状の墓などが建てられていたが,主要な建造物は切り石積みの構造物であった。城壁内のいたるところに池がうがたれ,飲料用の水を蓄えていた。出土遺物として重要なものは石製の神像,人物像,金製装身具類などで,銘文アラム語で刻まれていた。これらの遺物は最初のアラブ人の文化,アッシリアの文化,ヘレニズム文化の奇妙な混交を示している。 1985年世界遺産の文化遺産に登録。

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知恵蔵mini 「ハトラ遺跡」の解説

ハトラ遺跡

イラク北部の砂漠地帯にある都市遺跡。紀元前3世紀頃から紀元3世紀頃にかけて、シルクロードの交易拠点として栄えた。二重の城壁に囲まれた都市の中心部にギリシア式の神殿と西アジア様式の神殿が残されており、1985年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録された。2015年、過激派組織ISが同遺跡を破壊したとする映像をインターネット上に公開したが、被害程度など詳細は明らかにされていない。

(2015-4-07)

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