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ハノーバー選帝侯国 ハノーバーせんていこうこくKurfürstentum Hannover

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ハノーバー選帝侯国
ハノーバーせんていこうこく
Kurfürstentum Hannover

神聖ローマ帝国の北西部に形成された領邦。 17世紀初め,ウェルフェン家のブラウンシュワイク=リューネブルク公領の分裂によって生れたこの国は,エルンスト・アウグストのもとで,その首府の名をとってハノーバー公国と称せられるようになり,相続によって 1705年リューネブルクをも合せた。 1692年神聖ローマ皇帝レオポルト1世から選帝侯国の位を与えられた。エルンスト・アウグストの妃ゾフィーがイングランド王ジェームズ1世の孫娘だったことから,選帝侯ゲオルク1世は,アン女王の死後,王位継承法に基づき,ジョージ1世としてイギリス王位につき (→ハノーバー朝 ) ,以後イギリスと同君連合の関係におかれた。選帝侯が不在のため,国の統治は大臣会議によって行われ,貴族の勢力が強かったが,1737年に宰相 G.ミュンヒハウゼンが創立したゲッティンゲン大学はイギリス的な自由主義思想の中心となった。政治的には,大陸におけるイギリスの「アキレス腱」として,七年戦争からナポレオン戦争時代にかけ,しばしばフランスやプロシアの侵略をこうむり,ナポレオン1世の没落後,1814年にハノーバー王国 Königtum Hannoverとして再建された。 33年ウィリアム4世のとき自由主義的憲法を与えられたが,37年ビクトリア女王が即位すると,この国には女王の君主を認めない慣習法があったため,ウィリアムの弟で保守主義者のエルンスト・アウグスト1世がハノーバー王となり,憲法を廃止したことから,有名な「ゲッティンゲン七教授事件」が起った。最後の王ゲオルク5世はプロシア=オーストリア戦争の際,中立を守ったため,ハノーバーは 66年プロシアに併合された。第2次世界大戦後は旧ハノーバー王国の 80%がドイツのニーダーザクセン州を構成している。

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