日本大百科全書(ニッポニカ) 「エルンスト」の意味・わかりやすい解説
エルンスト(Max Ernst)
えるんすと
Max Ernst
(1891―1976)
シュルレアリスムの代表的な画家。4月2日ドイツのケルン近郊ブリュールに生まれ、パリ、ニューヨークなどで国際的に活躍する。1909~11年ボン大学で哲学を専攻。ピカソやデ・キリコの絵に関心を抱く。19年ケルンでアルプらと雑誌『通風機』によってダダの運動を起こす。20年コラージュによる絵画を創案する。これは、異質の物象を示す図を張り合わせて意外性による幻想や欲求を刺激し、フロイトのいう潜在意識に対応するイメージをくみ上げようとするものであった。21年パリに移住、ブルトンら詩誌『文学』の詩人たちと交流し、24年以来シュルレアリスム絵画の中心的存在として、ブルトンの宣言にある「純粋に心理的、精神的なオートマティスム」を実作において推進した。25年ごろ、さらにフロッタージュの技法を開拓したが、これは板の木目や木の葉、石、麻袋などの上に紙を置き、その上を木炭や鉛筆でこすって像を発現させる方法で、『博物誌』(1926)にみるように意識のコントロールの及ばない幻想世界を表現した。41年第二次世界大戦の戦火を避けてアメリカに渡り、45年までニューヨークに住んでアメリカの若い世代に影響を与える活発な制作を行った。以後アリゾナに移ってインディアンの原始美術に共鳴し、コレクションも行った。49年パリに戻って、76年4月1日同地で死去。シュルレアリスム絵画の主要な理念と方法は彼によって開発された。
[野村太郎]
エルンスト(Richard R. Ernst)
えるんすと
Richard R. Ernst
(1933―2021)
スイスの化学者。ウィンタートゥール生まれ。1956年スイス連邦工科大学を卒業。同大学に進学し、核磁気共鳴(NMR:nuclear magnetic resonance)を用いた研究を行い1962年に博士号を取得。1963年よりアメリカのバリアン協会研究員となる。当時のNMRは、原子核の性質を調べるといったように理論物理学で利用される道具であったが、より実践的な適用の探索を始める。1964年に、フーリエ変換NMR(FT‐NMR)の実験に初めて成功する。1968年スイスに帰国し、スイス連邦工科大学講師。1976年に同大学教授となる。
NMRの感度をあげるくふうを重ね、1970年代には二次元NMRを開発した。これによりタンパク質や核酸などの複雑な生体分子の溶液中での三次元構造解析が可能となった。フーリエ変換を組み合わせたフーリエ変換二次元NMRは、医学分野で使われるMRI(magnetic resonance imaging)へ応用されている。これらの功績により、1991年にノーベル化学賞を受賞した。
[馬場錬成]
エルンスト(Paul Ernst)
えるんすと
Paul Ernst
(1866―1933)
ドイツの作家、劇作家。ハルツの鉱山監督の子として生まれる。学生時代には当時流行の自然主義、社会主義にひかれたが、1900年のイタリア旅行、とりわけジョットの絵に触れたのを契機に、古典に根ざした理想主義(新古典主義)を唱えるようになった。実作者としてよりも理論的活動のほうが注目される。代表作に評論『フォルムへの道』(1906)、短編集『東方の王女』(1902)がある。
[松本道介]