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バルマク家 バルマクけBarmak

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

バルマク家
バルマクけ
Barmak

初期アッバース朝時代の名家。第1代カリフ,アブル・アッバース (在位 749~754) から第5代カリフ,ハールーン・アッラシード (在位 786~809) の時代まで,3代にわたってワジール (宰相) あるいは書記として仕えた。ペルシアの仏教僧院の主任司祭の子,ハーリド・イブン・バルマクはアブル・アッバースの書記およびマンスールの租税庁の長官をつとめ,その子ヤフヤーはラシードのワジールとなって,2人の息子ファドルとジャーファルとともにアッバース朝宮廷に権勢をふるった。しかし 803年ジャーファルは殺害され,ヤフヤーとファドルは捕えられて,一族の財産はすべて没収された。

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世界大百科事典 第2版の解説

バルマクけ【バルマク家】

アッバース朝初期のカリフたちに仕えて権勢をふるったイラン系の宰相家一門。バルマクBarmak家はもとはバルフ近郊のナウバハール仏教寺院の管主を代々務める家柄であったが,ウマイヤ朝末期にイスラムに改宗,ハーリドKhālidがウマイヤ朝打倒のアッバース家運動に加わって功績をあげ,革命が成功すると,初代カリフ,サッファーフから軍務と税務の官庁の長官として,アッバース朝の重要な行政をゆだねられた。2代カリフ,マンスールの治下でハーリドは,ファールスやタバレスターンなどの税務長官を歴任したが,その間息子のヤフヤーYaḥyāが父について行政能力を身につけるとともに,3代カリフ,マフディーのとき,王子ハールーン・アッラシードの後見人となった。

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世界大百科事典内のバルマク家の言及

【書記】より

…アッバース朝(750‐1258)時代になって官僚機構が発達すると,ペルシア人マワーリーが有力な書記階級を形成し,シュウービーヤ運動やアダブ(アラブの言語文化全体,教養を表す)文学の担い手となる者もあった。またバルマクBarmak家のように,財務行政の専門知識を生かして一門からディーワーンの長官やワジールを輩出する名家も現れた。軍事政権の成立以後は,官僚の行政権は大幅に縮小されたものの,文書の作成や国家財政を円滑に運用するためには,書記を用いることが不可欠であり,それらの専門的な知識は代々〈家の学問〉として受け継がれた。…

【書記】より

…文字を書き記す人。かつてはその技能をもつのはごく限られた人々であり,古代エジプトでは書記は各分野で重要な役割を果たす官職として尊ばれていた。これがダビデ王時代のユダヤに伝えられ,旧約聖書では〈書記官〉と記されている。ラテン語では〈書く〉を語源とするscribaという語があてられるが,ユダヤ教の教典を記録し解釈する人という意味から,新約聖書では〈律法学者〉の訳が用いられている。いっぽう,書記は王,権力者のもとで,秘密secretumにあずかっているという点をとらえてsecretaryという語も用いられるようになった。…

【ハールーン・アッラシード】より

…この王朝の全盛期を代表する君主で,797,803,806年の3回にわたってビザンティン帝国に親征,屈辱的講和条件を与えたが,対内的には相次ぐ反乱の鎮圧に苦慮した。内政では,最初の17年間はバルマク家一門を重用したが,その権勢があまりにも強大になりすぎたために,803年にこれを断絶させ,自ら政治に臨んだ。《千夜一夜物語》の登場人物としても有名。…

※「バルマク家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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