フィーアカント(読み)ふぃーあかんと(英語表記)Alfred Ferdinand Vierkandt

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フィーアカント」の意味・わかりやすい解説

フィーアカント
ふぃーあかんと
Alfred Ferdinand Vierkandt
(1867―1953)

ドイツの社会学者。ライプツィヒ大学を卒業し、ベルリン大学の講師を経て、1925年教授に就任し、社会学を担当した。初めは民族学関心をもち未開民族の研究に従事したが、ジンメルテンニエスの影響のもとに社会学の研究に移った。さらにフッサールの現象学の影響を受け、社会の本質を心的相互作用に認めたジンメルを批判して、社会は内的に基礎づけられた相互作用、すなわち内的結合にほかならないと主張し、さまざまな社会関係はこの内的結合の強弱によって区別されると考えた。この考えのもとに、テンニエスのゲマインシャフトゲゼルシャフトの両概念を関係の強弱に従って整理し直すとともに、ゲゼルシャフトもまた内的結合を前提としているとして、ゲマインシャフトが本質的にも歴史的にも優位を占めると主張した。そして社会学の理論的体系化を図り、社会社会学と文化社会学の2部門からなる社会学の体系を提示した。また『社会学辞典』(1931)を編纂(へんさん)して、当時のドイツ社会学の成果を示すことによって、ドイツと世界の社会学の発展に寄与した。主著には『社会学』(1929)、『家族、民族、国家』(1936)などがある。

[居安 正]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フィーアカント」の意味・わかりやすい解説

フィーアカント
Vierkandt, Alfred Ferdinand

[生]1867.6.4. ハンブルク
[没]1953.4.24. ベルリン
ドイツ形式社会学の代表者の一人。ライプチヒ大学卒業後,ベルリン大学で人種学地理学を担当したが,革命後のドイツ共和国政府による社会学講座設置と同時に社会学担当教授として 1935年退職まで同大学で教鞭をとった。初め文化史や民族学の研究を通して文化変動をとらえていたが,第1次世界大戦の頃から,G.ジンメルの影響のもとに社会化の形式という問題に関心を集中し,特殊科学的社会学を構築して,これを社会社会学 Gesellschaftssoziologieと文化社会学 Kultursoziologieとに分けた。著書『自然民族と文化民族』 Naturvölker und Kulturvölker (1896) ,『社会学』 Gesellschaftslehre (1923) など。

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