フォアウェルツ(英語表記)Vorwärts

改訂新版 世界大百科事典 「フォアウェルツ」の意味・わかりやすい解説

フォアウェルツ
Vorwärts

ドイツ社会民主党機関紙。100年余にわたり週刊紙としてドイツの社会主義運動と変遷をともにしてきたが,1982年2月に財政難のため廃刊された。前身として1844年から45年にかけてパリでドイツ人亡命者発行した週刊紙があり,これにはマルクスやH.ハイネなどが協力した。その後ドイツ社会主義労働者党ゴータ会議の機関紙統一決議に基づき,76年W.リープクネヒトらによりライプチヒで創刊された。ビスマルク社会主義者鎮圧法(1878制定)により発行を禁止されたため,84年から《ベルリーナー・フォルクスブラットBerliner Volksblatt》と改題刊行されたが,90年の鎮圧法廃止とともに,党名を社会民主党に改称したのとあわせ,《フォアウェルツ》に復題した。1933年,ナチ政権の登場により社会民主党が再び禁止されると,亡命新聞《ノイエル・フォアウェルツNeuer Vorwärts》として,プラハ,ついでパリで40年まで発行され続けた。第2次大戦後,48年に現在のドイツ社会民主党の中央機関紙《ノイエル・フォアウェルツ》としてハノーファーで再創刊され,55年から最初の題号に戻った。76年には全従業員に人事の共同決定権などを認める大幅な社内民主化を行い,注目された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フォアウェルツ」の意味・わかりやすい解説

フォアウェルツ
ふぉあうぇるつ
Vorwärts ドイツ語

1876年10月1日以降、ライプツィヒで発行されたドイツ社会主義労働者党の中央機関紙。『前進』の意味。週3回発行されたが、78年11月、社会主義者鎮圧法のため発行を停止した。同法廃止後、91年1月、日刊新聞『ベルリーナー・フォルクスブラット』にこの名を冠してドイツ社会民主党の中央機関紙となり、1933年2月28日、ナチス党によって禁止されるまで存続した。その後、40年まで同党の亡命者によって継続紙が発行され、48年同党の週刊紙として再建された。

[松 俊夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のフォアウェルツの言及

【ドイツ社会民主党】より

…05年から始まった中央集権的な組織の整備とともに,12年には397の選挙区のすべてに党組織が存在するに至り,12年の帝国議会選挙では,得票率34.8%,議席397中110を獲得して第一党となった。中央機関紙の《フォアウェルツVorwärts(前進)》(1914年の予約購読者数16万)をはじめ,各地に機関紙があり(1913年には90の日刊紙),理論機関誌《ノイエ・ツァイトDie Neue Zeit(新時代)》(1883年創刊,1917年までカウツキーの編集)は1911年に発行部数1万を超えた。また,1890年に実質的に発足した〈自由労働組合Freie Gewerkschaften〉は,社会民主党と密接な関係を保ちつつ,中央集権的・産業別組織に成長し,1913年には250万人を擁するまでになった。…

【ドイツ社会民主党】より

…05年から始まった中央集権的な組織の整備とともに,12年には397の選挙区のすべてに党組織が存在するに至り,12年の帝国議会選挙では,得票率34.8%,議席397中110を獲得して第一党となった。中央機関紙の《フォアウェルツVorwärts(前進)》(1914年の予約購読者数16万)をはじめ,各地に機関紙があり(1913年には90の日刊紙),理論機関誌《ノイエ・ツァイトDie Neue Zeit(新時代)》(1883年創刊,1917年までカウツキーの編集)は1911年に発行部数1万を超えた。また,1890年に実質的に発足した〈自由労働組合Freie Gewerkschaften〉は,社会民主党と密接な関係を保ちつつ,中央集権的・産業別組織に成長し,1913年には250万人を擁するまでになった。…

※「フォアウェルツ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android