日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドイツ社会主義労働者党」の意味・わかりやすい解説
ドイツ社会主義労働者党
どいつしゃかいしゅぎろうどうしゃとう
Sozialistische Arbeiterpartei Deutschlands
略称SAPD。ドイツ社会民主党の前身。1875年、全ドイツ労働者協会(ラッサール派)と社会民主労働者党(アイゼナハ派)がゴータ大会でゴータ綱領を採択し結成した。翌年、中央機関紙『フォーアウェルツ』を創刊、77年の総選挙で従来の九議席から12議席を獲得する成果を収めた。このころまではラッサール派の影響が強かったが、エンゲルスの『反デューリング論』によってしだいにマルクス主義的な性格を強めた。78年の社会主義者鎮圧法の公布以来、党は苦難の道を歩んだが、79年には新たな中央機関紙『ゾチアールデモクラート』を創刊するなど精力的な活動を展開、90年の総選挙では35議席、142万票を獲得した。社会主義者鎮圧法失効後の90年10月、党はハレ大会で党名をドイツ社会民主党と改称した。
[松 俊夫]
『メーリング著、足利末男他訳『ドイツ社会民主主義史 下』(1969・ミネルヴァ書房)』