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社会主義者鎮圧法 しゃかいしゅぎしゃちんあつほう Sozialistengesetz

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

社会主義者鎮圧法
しゃかいしゅぎしゃちんあつほう
Sozialistengesetz

1878年ドイツの宰相ビスマルク社会主義労働者党 (のちのドイツ社会民主党) 弾圧のために発布した法律。正式には「社会民主主義の公安を害するおそれのある行動に対する法律」という。 75年のゴータ大会 (→ゴータ綱領 ) でラサール派アイゼナハ派が合同,社会主義労働者党が結成された。

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デジタル大辞泉の解説

しゃかいしゅぎしゃちんあつ‐ほう〔シヤクワイシユギシヤチンアツハフ〕【社会主義者鎮圧法】

1878年、ドイツの宰相ビスマルク社会主義団体を弾圧する目的で制定した法律。かえって社会主義者たちの団結を強める結果となり、1890年に廃止された。

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百科事典マイペディアの解説

社会主義者鎮圧法【しゃかいしゅぎしゃちんあつほう】

1878年ドイツで制定された社会主義運動弾圧法。かねてドイツ社会民主党の発展を恐れていたビスマルクは,この法律によって社会主義的傾向をもつすべての結社,集会,出版を禁止した。
→関連項目ビスマルクベルンシュタイン

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世界大百科事典 第2版の解説

しゃかいしゅぎしゃちんあつほう【社会主義者鎮圧法 Sozialistengesetz】

1878‐90年にドイツで実施された社会主義弾圧のための法律。ドイツの社会主義運動は1875年にアイゼナハ派とラッサール派が合同してドイツ社会主義労働者党(後のドイツ社会民主党)が結成されて以来,勢力の伸張が目ざましかった。ビスマルクはこれを危険視し,弾圧の機会をうかがっていたが,78年5,6月あいついで起こった皇帝狙撃事件を利用し,帝国議会にいわゆる社会主義者鎮圧法を上程し,同年10月強引に成立させた。

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大辞林 第三版の解説

しゃかいしゅぎしゃちんあつほう【社会主義者鎮圧法】

1878年、ドイツの宰相ビスマルクが社会主義勢力を弾圧するため制定した法律。しかし、社会主義者の勢力は着実に伸長した。90年廃止。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

社会主義者鎮圧法
しゃかいしゅぎしゃちんあつほう
Sozialistengesetzドイツ語

1878年10月21日、ドイツで社会主義運動の弾圧を目的に公布された法律。かねて社会主義運動を敵視していたビスマルクは、同年、皇帝狙撃(そげき)事件が起こると、これを口実に議会の協力を得て同法を制定した。この法律は、「社会民主主義、社会主義もしくは共産主義的な活動」によって国家、社会秩序の転覆を図ろうとする結社、集会、印刷物、寄付金の徴集などを禁止したほか、特定地域の部分的戒厳令の施行、違反者の居住地制限などを規定していたので、社会主義運動は大きな打撃を受け、同法施行後の10年間に、1299の印刷物、332の団体が禁止された。しかし社会主義者の被選挙権を奪うことはできなかったから、ドイツ社会主義労働者党は地下活動によって党勢を拡大、90年2月の選挙では142万票、35議席を獲得した。そこでビスマルクは同法の強化を図ろうとしたが、議会が90年1月、同法の有効期限の延長を否決したため、同法は9月失効し、ビスマルク退陣の一因をつくった。[松 俊夫]
『フリッケ著、西尾孝明訳『ドイツ社会主義運動史』(1973・れんが書房)』

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世界大百科事典内の社会主義者鎮圧法の言及

【ドイツ】より

…とりわけ,プロイセンの反自由主義に鋭く反発するその指導者ベーベルとW.リープクネヒトが,独仏戦争に際し戦費協賛に保留,次いで反対の態度をとり,さらにパリ・コミューンに共感を表明したことは,ビスマルクに大きな衝撃を与えた。しかし,1878年の社会主義者鎮圧法,また83年に始まる一連の労働者保険も,労働者街とりわけ酒場での仲間づきあいや各種の文化(合唱,演劇など)・スポーツ団体を中心に独自の〈労働者文化〉と相互扶助の世界を形成しつつ発展するこの運動を抑え込むことはできなかった。 1873年に世界大不況が始まると,ドイツはそれまでの自由貿易政策から,79年,〈穀物と鉄〉(ユンカーとルール重工業)を軸とした保護関税政策に転換する。…

【ドイツ社会民主党】より


[1875‐1917年]
 同党は1877年の帝国議会選挙で得票率9%強の勢いを示した。これに対してビスマルクは翌78年,社会主義者鎮圧法を制定するとともに,80年代には各種社会保険を導入して労働者を国家に統合しようとしたが,弾圧はかえって労働者の階級意識を育てる結果となった。合法活動の許されていた帝国議会選挙において,90年に同党は得票率では早くも第一党(19.7%)になっている。…

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