フリードリヒ・ウィルヘルム2世(読み)フリードリヒ・ウィルヘルムにせい(その他表記)Friedrich Wilhelm II

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

フリードリヒ・ウィルヘルム2世
フリードリヒ・ウィルヘルムにせい
Friedrich Wilhelm II

[生]1744.9.25. ベルリン
[没]1797.11.16. ポツダム
プロシア王 (在位 1786~97) 。伯父フリードリヒ2世 (大王)の跡を継いだが,前王とは対照的に,芸術,快楽を追求し,軍事,政治を顧みなかったため,国政佞臣に左右された。宗教大臣 J.ウェルナーのもとに 1788年宗教令を発して,カトリックやユダヤ人への寛容を宣する一方,ルター主義の国教会制を強化し,フランス革命後は啓蒙思想への弾圧を強化した。外交面では,オーストリアとともに,91年ピルニッツ宣言を行なったが,92年バルミーの戦いに敗れ,95年バーゼルでフランスと単独講和を結んだ。また第2,3次ポーランド分割に参加して,領土は拡張したが,内治外交ともに不振で,プロシア王国崩壊の因をつくった。しかし彼の治世にはプロシア文化のめざましい躍進がみられ,ベルリンでは音楽と演劇が盛んとなり,ケーニヒスベルク大学では,カントが哲学を講じていた。

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改訂新版 世界大百科事典 の解説

フリードリヒ・ウィルヘルム[2世]
Friedrich Wilhelm Ⅱ
生没年:1744-97

プロイセン王。在位1786-97年。フリードリヒ2世大王)の甥。フランス革命に干渉し,第2次・3次のポーランド分割を行う。明るい開放的性格の人であったが,反面女色におぼれ,政治的識見と首尾一貫性に欠け,寵臣に動かされた反啓蒙主義的宗教政策で不評を買った。ただし学芸には理解があり,彼の時代にベルリンはドイツの中心的文化都市に発展している。
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367日誕生日大事典 の解説

フリードリヒ・ウィルヘルム2世

生年月日:1744年9月25日
プロシア王(在位1786〜97)
1797年没

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世界大百科事典(旧版)内のフリードリヒ・ウィルヘルム2世の言及

【プロイセン】より

… これ以後,プロイセン公国は,ホーエンツォレルン家のもとに,同君連合のかたちで,歴代のブランデンブルク選帝侯の支配をうけるが,プロイセンに対するポーランドの宗主権はなおも存続した。ようやく〈大選帝侯〉フリードリヒ・ウィルヘルム(在位1640‐88)のとき,スウェーデン・ポーランド間の戦争(1655‐60)に乗じて,ブランデンブルクはポーランドからプロイセン公国における完全な主権を獲得し(1657),1660年のオリバOliva和約でこの主権はスウェーデン・ポーランド両国により承認された。 プロイセン公国でも,ブランデンブルクにおけると同様,16世紀以来ユンカー(地方貴族)の農奴制的な直営地経営(グーツヘルシャフト)が発展していた。…

※「フリードリヒ・ウィルヘルム2世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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