日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブラガンサ朝」の意味・わかりやすい解説
ブラガンサ朝
ぶらがんさちょう
ポルトガルの第四王朝(1640~1910)およびブラジル皇帝家(1822~89)。ブラガンサBragança公爵家は、1401年国王ジョアン1世(在位1385~1433)の庶子ドン・アフォンソと王国軍総司令官ヌノ・ペレイラの娘との結婚によって生まれ、当初からポルトガル有数の大貴族であった。ジョアン2世(在位1481~95)によって一時弾圧されたが、スペインのフェリペ王朝支配下には、南部のビラ・ビソーザを拠点にポルトガル最大の勢力を誇っていた。1640年、ポルトガルがスペインから再独立するに際して、ブラガンサ公ドン・ジョアンは国王に推戴(すいたい)され、ジョアン4世(在位1640~56)としてブラガンサ王朝を開いた。以後、1910年共和制が成立し、マヌエル2世(在位1908~10)が廃位されるまで、270年続いた。その間、1807年にはナポレオン軍の侵入により、王室がブラジルに亡命した。1820年の革命で、国王ジョアン6世(在位1816~26)は帰国したが、残った息子のドン・ペドロはブラジルの独立を宣言して、ブラジル皇帝ペドロ1世Pedro Ⅰ(在位1822~31)として即位した。ペドロ2世(在位1831~89)が1889年の共和革命で廃位されるまで、ブラジルのブラガンサ家は67年間続いた。
[金七紀男]