ジョアン(読み)じょあん(英語表記)João Ⅰ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジョアン」の意味・わかりやすい解説

ジョアン(1世)
じょあん
João Ⅰ
(1357―1433)

ポルトガル王(在位1385~1433)。アビス朝の開祖で、大王Boa Memoriaともよばれる。国王フェルナンドの異母弟にあたり、1363年アビス修道会長に任命された。83年国王の死後、摂政についた王妃レオノルは、カスティーリャ王フアン1世に嫁いだ王女ベアトリスを擁立して親カスティーリャ政策をとった。このため、ポルトガル独立の喪失を恐れた民衆から反レオノル派の指揮者に選ばれたジョアンは、カスティーリャ軍のリスボン包囲を解除させ、85年に国王に推戴(すいたい)されてアビス朝を開いた。同年アルジュバロタで侵入してきたカスティーリャ軍を破り、ポルトガルの独立を守った。その治世下に、息子のエンリケ航海王子らによって、セウタ征服に始まる海外進出政策が進められた。

[金七紀男]


ジョアン(4世)
じょあん
João Ⅳ
(1604―1656)

ポルトガル王(在位1640~56)。ブラガンサ朝の開祖。回復王o Restauradorともよばれる。スペイン支配下のポルトガル最大の貴族ブラガンサ公の子として南部の町ビラ・ビソーザに生まれる。1640年、スペイン帝国混乱に乗じ、ポルトガルの一部の貴族がリスボンに駐在するスペイン人ポルトガル副王を追放し、60年ぶりに独立を回復、ジョアンは国王に推挙されジョアン4世として即位し、ブラガンサ朝を開いた。彼はスペインの侵入に備えて国境の防備を固める一方、イギリスに援助を求め、その代償として経済従属を深めていった。海外領ではブラジルアンゴラをオランダ人から回復した。

[金七紀男]



ジョアン(2世)
じょあん
João Ⅱ
(1455―1495)

ポルトガル王(在位1481~95)。アビス朝第4代の王で、完全王o Perfeitoともよばれる。父王アフォンソ5世の治世下に勢力を伸張した貴族勢力を徹底的に弾圧して王権を強化し、1484年までにポルトガル絶対王制の基礎を築いた。また、エンリケ(航海王子)によって推進された海外進出政策を継承し、82年にはギニア湾のミナに商館を設置して西アフリカの金取引を恒常化した。さらに、海路でインドに到達するために新航路の開拓に努めた。彼の命を受けてディアスは喜望峰迂回(うかい)に成功し、またコビリャンらはインドの香料に関する情報を収集した。コロンブスによる新大陸「発見」により、スペインとの間にトルデシリャス条約が結ばれ、1494年に両国の間での世界分割を行った。

[金七紀男]


ジョアン(6世)
じょあん
João Ⅵ
(1767―1826)

ポルトガル王(在位1816~26)。マリア1世の子。ブラガンサ朝第7代の王で、仁愛王o Clementeともよばれる。1792年から母王マリア1世の摂政につく。ナポレオン1世大陸封鎖令を聞き入れなかったため、1807年フランス軍の侵入を招いた。王室とともにブラジルに亡命したが、20年本国に自由主義革命が起こり、帰国後立憲王制を承認。25年には王子ドン・ペドロを擁立したブラジルの独立を承認した。

[金七紀男]


ジョアン(3世)
じょあん
João Ⅲ
(1502―1557)

ポルトガル王(在位1521~57)。アビス朝第6代の王で、敬虔(けいけん)王o Piedosoともよばれる。マヌエル1世の子。1536年宗教裁判所を設置してユダヤ人を迫害し、プロテスタント思想の侵入を防止した。設立まもないイエズス会を導入して積極的なカトリックの布教に努め、その保護下にフランシスコ・ザビエルが日本を訪れている。また、その治世下にブラジルでの植民地化が本格的に進められた。

[金七紀男]


ジョアン(5世)
じょあん
João Ⅴ
(1689―1750)

ポルトガル王(在位1706~50)。ペドロ2世の子。ブラガンサ朝第4代の王で、寛仁王o Magnânimoともよばれる。その治世下に植民地ブラジルから大量の金、ダイヤモンドが流入したため、国王はこの富を背景にルイ14世流の絶対王制を敷いた。バロック文化の最盛期を迎え、莫大(ばくだい)な富が教会への寄進やマフラ修道院の建設などに浪費され、国民経済の発展に寄与することは少なかった。

[金七紀男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジョアン」の意味・わかりやすい解説

ジョアン[ナバール]
Joan of Navarre

[生]1370頃
[没]1437.7.9. エセックス
イングランド王ヘンリー4世の妃。ナバール (ナバラ) 王シャルル2世の娘。 1386年ブルターニュ公ジャン4世と結婚,その死後,1403年ヘンリーと再婚。 13年ヘンリーが死に,また百年戦争中の反フランス感情の増大により魔女の容疑を受け,22年までの3年間監禁された。

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