日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘイズ‐ティルデン妥協」の意味・わかりやすい解説
ヘイズ‐ティルデン妥協
へいずてぃるでんだきょう
1877年、アメリカの大統領選挙の際に行われた妥協。「1877年の妥協」ともよばれる。76年の大統領選挙は、共和党ラザフォード・B・ヘイズと民主党サミュエル・J・ティルデンとの間で激しく争われた。一般投票ではティルデンの勝利であったが、4州(フロリダ、ルイジアナ、サウス・カロライナ、オレゴン)から複数の選挙報告が提出され、次期大統領が決まらない「選挙危機」が生まれた。これを打開するために議会に設置された十五人委員会は、問題票をすべてヘイズ票と宣言した。3か月続いたこの危機の背後で秘密裏に行われた「妥協」の内容は、ヘイズが大統領につくかわりに、南部開発事業への政府支出金付与、テキサス・パシフィック鉄道法案の通過、南部から連邦軍を撤退させ、南北戦争後、その武力を背景に樹立していた南部共和党州政権の残る2州(他の南部諸州はすでに民主党に取り戻されていた)を民主党にゆだねるというもので南部再建の終了を意味していた。また、南北戦争・再建の成果を確保した北部産業資本家階級が、新しい敵(労働者、農民、中産階級)を抑えるために、黒人の権利擁護を放棄し、南部支配層と手を結んだことを示していた。
[竹中興慈]