アメリカ合衆国南東部の州。面積8万0432平方キロメートル、人口401万2012(2000)。黒人が人口の30%を占める。ほぼ三角形で、北はノース・カロライナ州、南西はジョージア州に接し、南東は大西洋に面する。合衆国独立時の13州の一つ。州都コロンビア。東部の海岸平野と西部のピードモント台地に分けられるが、北西隅にわずかにブルー・リッジ山脈がある。州の面積の約65%は森林である。北部の海岸線は単調な砂浜であるが、南部の海岸は砂州が多く、潟湖(せきこ)や湿地帯が多い。ほぼ平坦(へいたん)な海岸平野とその西側の起伏の緩やかなピードモント台地との境界は滝線となっている。気候は温暖で、大西洋に面したチャールストンにおける年降水量は1473ミリメートル、平均気温は1月が9.4℃、7月が26.7℃である。ピー・デー、サンテー、エディスト、サバナ川などが北西から南東の海岸に向かって流れ、これらの川の途中に建設されたダムと発電所が州の工業化に貢献した。
近年、州の経済は農業から工業中心に変化したが、主要工業はおもに農林産物に基礎を置いた繊維、衣服、木材、家具、製紙である。このほかにも化学、機械、食品加工などの工業が発達している。これらの活動はピードモント地域に集中する。農業販売額は、1950年代まで綿花が第1位であったが、それ以後はタバコと大豆が綿花を上回るようになった。これらに次いで、トウモロコシ、肉牛、ピーナッツ、ペカン、サツマイモ、モモなどの販売額が多い。海岸平野は、温暖な気候を利用して野菜栽培地域となっている。
1520年代にスペイン人が沿岸部分を探検したが、イギリス人植民者がアシュレー川沿岸に最初の定住集落を建設したのは1670年であった。1680年になると植民者たちはオイスター・ポイント(現在のチャールストン)に移動して町を建設した。17世紀後半から大西洋沿岸部に、黒人やインディアン奴隷を使用したプランテーションが出現し、最初は米、アイ(藍(あい))を栽培したが、のちにはタバコ、綿花を栽培するようになった。1713年にノース・カロライナとサウス・カロライナが分離。1861年合衆国連邦から最初に脱退し、州内のサンター要塞(ようさい)を攻撃したことにより南北戦争が始まった。1868年に合衆国連邦に復帰。
[菅野峰明]
アメリカ合衆国南部,大西洋岸の州。略称S.C.。独立13州の一つ。面積8万0432km2,人口462万5364(2010)。州都および最大都市コロンビア。州名はイギリス王チャールズ1世(ラテン語でカロルス)にちなむ。アパラチア山脈が北西部を占め,南東方向にしだいに標高が低下し,ピードモント台地を経て,低平なコースタル・プレーン(海岸平野)へと続く。湿潤温暖気候で西南日本とよく似ており,夏は蒸し暑いが,年降水量は1000~1200mmでやや少ない。森林面積は州土の64%を占め,それは漸増傾向にある。ロー・カントリーLow Countryと呼ばれる沿岸低地は古い歴史をもち,イギリス人の建設したチャールストンは植民地時代に繁栄し,今なお18~19世紀の建築と独特の雰囲気を保持している。1861年4月南軍が攻撃(南北戦争の開始)したサムター要塞は,チャールストン港の入口にある。コースタル・プレーンとピードモント台地との境には滝線が走り,その線上にコロンビアなどの都市が発達している。アップ・カントリーUp Countryと呼ばれるピードモント台地の地域は,ロー・カントリーよりもはるかに多くの人口をもち,政治的にも経済的にも著しい対照をなしてきた。19世紀初めに始まった繊維工業は同州の工業を支えてきたが,かつて中心であった綿織物から,合繊,化繊,毛織物への多様化がみられる。同州は基本的には農業州とはいえないが,タバコ生産は全米3位(1980)である。黒人が州人口の31%を占める典型的な南部州で,白人ではイギリス系,ドイツ系が多く,南欧・東欧系人口は限られている。識字率が低いため,教育水準の向上に大いに関心が払われてきた。
執筆者:正井 泰夫
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