ヘイズ(読み)へいず(英語表記)Rutherford Birchard Hayes

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘイズ」の意味・わかりやすい解説

ヘイズ(Isaac Hayes)
へいず
Isaac Hayes
(1942―2008)

アメリカソウル・ミュージックシンガー。たくましく真っ黒な裸の上半身に大きな金のネックレス、つるつる頭と黒いサングラス、それに加えて堂々としたバリトン・ボイス……と、1960年代から70年代初めにかけてのブラック・パワーの盛り上がりを具現化したような異形で一躍人気者になった。「ソウル・ミュージックのワーグナー」「黒いモーゼ」ともよばれる。

 テネシー州西部のコビントンの生まれ。幼いころから教会で歌い、独学でピアノやサックスを学んだ。歌手になろうといくつかのレコード会社でシングル盤を吹き込んだもののうまくはゆかず、レコーディング用のバック・バンド、マーキーズにサックス奏者として参加した。マーキーズは、ソウル・ミュージックのインストゥルメンタル・バンドとして有名なブッカー・T&ザ・MGズの前身ともいえるバンドで、彼らはメンフィスのスタックス・レコードをベースに数多くの名演を残している(ヒット曲には1961年の「ラスト・ナイト」がある)。ヘイズは、このマーキーズからスタートし、スタックスのプロダクション・チームの一人として徐々に頭角を現すようになっていった。ヘイズはデビッド・ポーターDavid Porter(1941― )とコンビを組み、サム&デーブやカーラ・トマスCarla Thomas(1942― )、ジョニー・テーラーJohnnie Taylor(1938―2000)などに多くの曲を提供した。とくにサム&デーブの「ホールド・オン! アイム・カミング」など一連のビッグ・ヒットは、ヘイズら裏方の才能を余すところなく伝えていた。

 シンガーとしてヘイズが脚光を浴びるのは、1969年のアルバム『ホット・バタード・ソウル』からで、ファンク・ビートにセクシーな語りや歌をのせてドラマティックに盛り上げていく彼のスタイルは、71年の『黒いジャガー』のサウンドトラック盤『シャフト』Shaftで最大の効果を生み出すことになる。黒人映画(ブラック・シネマ)が量産された70年代初め、ゴードン・パークスGordon Parks(1912―2006)監督による『黒いジャガー』はその火付け役となった作品だったが、当時の黒人のイメージを徹底的に引き出したヘイズの音楽は、彼の漫画的ともいえるファッションとともに強烈なパワーを発散し、いやがおうにもこのブラック・シネマのブームを盛り上げたのである。大ヒットとなった「シャフトのテーマ」は、71年のオスカー(ベスト・ソング賞)とグラミー(ベスト器楽編曲賞)の両賞を獲得するという、アメリカの黒人音楽にとっては初めての快挙となった。

 ヘイズはその後、ディスコ・ブームに焦点を当てた『チョコレート・チップ』(1975)をヒットさせゴールド・アルバムにする。77年にディオンヌ・ワーウィックDionne Warwick(1940― )、79年にはミリー・ジャクソンMillie Jackson(1944― )と共演している。80年代に入り俳優業が忙しくなって、音楽をやめていた時期もあった。

 2001年、華々しいデビューをはたしたアリシア・キーズAlicia Keys(1981― )の『ソングス・イン・A・マイナー』にベテラン・アレンジャー、キーボード奏者として参加。ラップ流行が本格化した80年代以降も、ヘイズが若い黒人ミュージシャンから畏敬の念を抱かれているという事実一端を知らせた。

[藤田 正]


ヘイズ(Rutherford Birchard Hayes)
へいず
Rutherford Birchard Hayes
(1822―1893)

アメリカ合衆国第19代大統領(在任1877~81)。ケニオン大学、ハーバード・ロー・スクール卒業。弁護士を営む一方、1854年ホイッグ党員から共和党員になる。連邦下院議員を経て、オハイオ州知事の第三期目に共和党大統領候補に指名される。76年の大統領選挙の結果、民主党のティルデンが一般票の過半数を得たが、黒人を裏切る「妥協」が行われ、選挙人票ではヘイズが一票多い185票とされ、大統領に就任した。在任中、公務員改革には優柔不断、労働金融問題には保守的で、77年の鉄道ストライキは軍隊を派遣して鎮圧した。

[竹中興慈]



ヘイズ(Helen Hayes)
へいず
Helen Hayes
(1900―1993)

アメリカの女優。ワシントンに生まれる。5歳で初舞台を踏み、以後舞台、映画、ラジオ、テレビで長年にわたり活躍、名声を博した。気品に満ちた演技派として知られ、とりわけ『ビクトリア女王』(1935)での演技は絶賛された。映画では『マデロンの悲劇』(1932)でアカデミー主演女優賞受賞。1955年、彼女の功績を記念してブロードウェーの一劇場がヘレン・ヘイズ劇場と改称された。

[一ノ瀬和夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘイズ」の意味・わかりやすい解説

ヘイズ
Hayes, Elvin

[生]1945.11.17. ルイジアナ,レイビル
アメリカ合衆国のバスケットボール選手。本名 Elvin Ernest Hayes。北アメリカのプロバスケットボールリーグ,NBA史上,最も多くの得点,リバウンド数を記録した選手の一人。ルイジアナ州の高校で1試合平均 35得点を上げる活躍ののち,ヒューストン大学に進学。在学中3度全米選抜チームに選ばれた。大学時代には1試合平均 31得点,17.2リバウンドの成績を残し,1968年に年間最優秀大学選手に選出された。同 1968年 NBAのサンディエゴ・ロケッツに入団,新人ながら1試合平均 28.4得点を上げ,リーグ得点王となった (同リバウンド 17.1) 。 1972年ボルティモア・ブレッツにトレードされ,主力選手として活躍。ブレッツはその後ワシントン・ブレッツと改名し,1978年 NBA優勝を果たした。 1984年の引退時点で,ヘイズは通算2万 7313得点,1試合平均 21得点でリーグ史上歴代2位,およびリバウンド数1万 6279 (1試合平均 12.5) で同3位の記録を残した。 1990年ネイスミス記念バスケットボール殿堂入り。 1996年 NBAの「50人の偉大な選手」の一人に選ばれた。

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