ヘンリー7世
ヘンリーななせい
Henry VII
[生]1457.1.28. ペンブルック城
[没]1509.4.21. リッチモンド
イギリス,チューダー朝初代のイングランド王(在位 1485~1509)。父はリッチモンド伯エドマンド・チューダー,母はマーガレット・ボーフォート。1471年以後叔父ジャスパーとともにブルターニュに亡命。1485年8月帰国し,ランカスター家の長として国王リチャード3世をボズワースの戦いで敗死させ,1485年10月戴冠。ヨーク家のエドワード4世の長女エリザベスと結婚し,バラ戦争に終止符を打った。治世の初期にはヨーク派の残党やランバート・シムネル,パーキン・ウォーベックらの陰謀に悩まされたが,これらを抑えた。外交面では政略結婚で平和の維持に努め,内政面では旧貴族の勢力を減じる官僚制度の整備,国事犯の取り締まり強化策としての星室裁判所の設置,増税,新税による王室独自の財政の確保,商工業に対する保護奨励など,チューダー朝絶対主義体制の基礎を固める重責を果たした。
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ヘンリー[7世]
Henry Ⅶ
生没年:1457-1509
チューダー朝初代のイングランド王。在位1485-1509年。リッチモンド伯エドマンド・チューダーとランカスター系のマーガレット・ボーフォートの子。ランカスター派の王位継承者とみなされ,ばら戦争においてボズワースの戦でリチャード3世を破って1485年即位。ヨーク家のエリザベスと結婚し,両家を統一した。星室裁判所によって貴族勢力を弱め,新たに獲得した王領地を国王直属の役人によるチェーンバー行政でもって管理させ,さらに国王後見権を強化させるなど王室財政の安定・拡大につとめた。対外活動にも積極的で,カボット父子の新大陸探検を援助し,フランドルと通商条約を結んで貿易を振興し,百年戦争以来の対仏感情を基調としてスペインと友好関係を結んだ。長女マーガレットをスコットランド王ジェームズ4世と結婚させ,長子アーサーにはスペイン王フェルナンドとイサベル女王の娘キャサリン・オブ・アラゴンを迎え,チューダー家の国際的地位を強めた。
執筆者:栗山 義信
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ヘンリー7世
生年月日:1457年1月28日
チューダー朝初代のイングランド王(在位1485〜1509)
1509年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のヘンリー7世の言及
【イギリス】より
…以後宗教改革期まで,国民国家の台頭による王権と教皇権の対立にもかかわらず,イギリスの教会はカトリック教会の枝として存続した。 1534年ヘンリー8世は離婚問題を契機とする[宗教改革]で,イギリスの教会をローマより分離し,長年イギリスの社会・宗教生活に大きな役割を果たしてきた修道院を解散した。ヘンリーの死後二転三転した宗教事情は,エリザベス1世登位(1558)後〈教義的にはプロテスタント,礼拝様式ではカトリック〉といわれた英国国教会として定着した。…
【ウェールズ】より
…しかしウェールズ諸首長はやがて反撃に転じ,イングランドのスティーブン王時代の内乱に乗じて自立を回復した。続く12世紀後半ヘンリー2世時代にもしばしば反乱をおこしてイングランドを悩ませた。しかし1170年ころからヘンリー2世はアイルランド征服に着手するため対ウェールズ懐柔策に転じ,南ウェールズの首長リースに率いられた諸首長は,イングランドとの友好関係に入ることになった。…
【チューダー朝】より
…ヘンリー7世(在位1485‐1509)に始まり,17世紀初頭に至るイギリスの王朝。ウェールズ系のリッチモンド伯ヘンリー・チューダーは,その母がエドワード3世(在位1327‐77)の子ジョン・オブ・ゴーントの末裔であったために,ランカスター派の王位継承者とみなされ,ばら戦争最後の戦闘ボズワースの戦でリチャード3世を破ってヘンリー7世として即位。…
【ばら戦争】より
…しかし,ばら戦争の結果,貴族層は深刻な打撃を被り,歴史上イギリスの中世は終りを告げ,チューダー朝の絶対主義時代に移行した。
[発端と経過]
ランカスター朝3代目のヘンリー6世の治世に,ヨーク公リチャードはランカスター家以上にヨーク家の王位継承権が正当であると主張して決起,戦争は1455年セント・オールバンズの戦で始まった。これ以後,封建家臣団を擁して戦闘の機会をうかがっていた貴族がしだいにランカスター,ヨークの両派に系列化されて,断続的に戦闘が繰り広げられた。…
【ヨーマン】より
…(2)国王親衛隊員Yeoman of the Guard。1485年ヘンリー7世の戴冠式に際し創設され,50名から成った。1520年ヘンリー8世期に600人に増員。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」