ポリサリオ戦線(読み)ポリサリオせんせん(英語表記)Frente Popular para la Liberación de Sakiet el Hamra y Rio de Oro; POLISARIO

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポリサリオ戦線」の意味・わかりやすい解説

ポリサリオ戦線
ポリサリオせんせん
Frente Popular para la Liberación de Sakiet el Hamra y Rio de Oro; POLISARIO

1973年に創設された西サハラの解放組織。当初モーリタニア領内に本部をおいていたが,その後アルジェリアに移転。 76年2月西サハラはスペインの手を離れ,北3分の2がモロッコに,残り3分の1がモーリタニアに分割併合された。しかし西サハラ住民の声を代表する組織と自認する同戦線はこれを認めず,アルジェリアの支援を受けて,モロッコ,モーリタニア両国を相手に武装解放闘争を開始し,同年2月にはサハラ・アラブ民主共和国樹立を宣言。アルジェリアほか多数の国がこれに承認を与えた。その後 79年8月モーリタニアが西サハラ南部の領有権を放棄すると,モロッコがこれを占領した。武力紛争が続くなか,アフリカ統一機構 OAUは「住民投票による西サハラの将来の決定」を提案し,国連も住民投票に向けてモロッコとポリサリオ戦線との直接交渉を求める決議を採択した。モロッコは 89年1月になって直接会談に踏切り,91年7月のジュネーブ合意で,停戦,国連監視下の住民投票を 92年に行うことが決定したが,住民の投票資格をめぐって相方対立が続き,繰延べられた。 99年現在も住民投票は延期されたままである。→西サハラ紛争

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世界大百科事典(旧版)内のポリサリオ戦線の言及

【西サハラ】より

…そのためスペインは,西サハラの解放つまり自国への併合を要求するモロッコと対立したが,1975年に撤退に同意し,翌年モロッコとモーリタニアの分割領有が始まった。それに対して〈ポリサリオ戦線〉が西サハラの独立を主張し,アルジェリアの支援を得て武装闘争を開始,76年にサハラ・アラブ民主共和国の樹立を宣言した。このことから〈西サハラ紛争〉が発生し,79年にモーリタニアが南部を放棄した後,モロッコが西サハラ全域を併合した。…

【モーリタニア】より

…正式名称=モーリタニア・イスラム共和国Jumhūrīya al-Islāmiya al-Mūrītānīya面積=103万0700km2人口(1996)=233万人首都=ヌアクショットNouakchott(日本との時差=-9時間)主要言語=アラビア語(バッサニヤ),フルフルデ語,ソニンケ語,ウォロフ語通貨=ウーギヤOuguiyaアフリカ西端,サハラ砂漠南西部にあり,大西洋に面する共和国。乾燥気候のもとにある。…

※「ポリサリオ戦線」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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