沢渡朔(読み)さわたりはじめ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「沢渡朔」の意味・わかりやすい解説

沢渡朔
さわたりはじめ
(1940― )

写真家。東京生まれ。1963年(昭和38)に日本大学芸術学部写真学科を卒業後、日本デザインセンターに入社。広告写真の分野で活動を始める。1966年からはフリーランスとなり、ファッションフォトグラファーとしての幅を広げる一方、『カメラ毎日』誌を舞台に作品を発表。広告写真の枠組みにはおさまりきらない写真表現を追求した。

 大学を卒業してまだ1年足らずのころに発表された「自由への祈り」(1964)は、当時来日したジャズ歌手アビー・リンカーンAbbey Lincoln(1930―2010)をモデルに自由と平和を祈る黒人精神史を表現した作品で、学生時代に米軍横田基地に足しげく通って写真を撮った経験や、当時からのめりこんでいたジャズの世界から得たジャーナリスティックな問題意識が反映されたものである。この作品にはまだ沢渡独特の幻想的資質は顔をのぞかせてはいないが、フリーランスとなって以降は次第に斬新なビジュアル・イメージを駆使する広告写真の手法を生かして虚構の世界を作りあげていくようになる。最先端のファッションを身にまとったモデルを登場させた「KINKY」「Hello」(ともに1968)といった作品では、若い世代の不安な心情を演劇的な手法によって映像化し、また両性具有的なヌードを演出した「四谷シモン」(1971)では、肉体に潜む妖しいエロティシズムを引きだした。

 イタリア人ファッション・モデルのナディアNadiaとの出会いによって生まれた連作「ナディア」(1971~1973)では、1人の女性の魅力を甘いエロティシズムに満ちたファンタジーとして映像化すると同時に、その幻想的な映像のうちに写真家とモデルとが織りなす人間関係をも浮き彫りにした。2年にわたる撮影の間に次第に変化していく関係を映像化したこの幻想的ドキュメントは、1973年に写真集『森の人形館』にまとめられ、同年の日本写真協会年度賞を受賞。女性写真に新しい領域を切り拓いたものとして高く評価された。

 少女というテーマもまた沢渡にとって重要である。初期の「跳んでごらんプルーネ」(1964)は、あどけなさの残る少女が不意にみせる大人の表情をとらえたものであるが、大人と同じ目線をもった対等な人格として子供を見つめようとする。こうした視線は後年、少女のなかに潜むエロティシズムを描いた写真集『少女アリス』(1973)を生みだすこととなる。イギリスでみつけたという8歳の少女はその6年後にも『海から来た少女』(1979)において再び登場し、沢渡にインスピレーションを与えつづけた。

 1979年には、講談社出版文化賞写真賞を受賞。また、「15人の写真家展」(1974、東京国立近代美術館)、「日本の写真、1970年代凍結された『時』の記憶」(1991、東京都写真美術館)をはじめとする展覧会に出品する一方で、女優やアイドルの写真集を数多く手がけるなど幅広い領域で活動している。

[河野通孝]

『『森の人形館』(1973・毎日新聞社)』『『少女アリス』(1973・河出書房新社)』『『写真集「小沢征爾」』(1975・集英社)』『『ナディア』(1977・朝日ソノラマ)』『『海から来た少女』(1979・河出書房新社)』『『少女だった――手塚さとみ写真集』(1981・小学館)』『『蜜の味』(1990・アイピーシー)』『『Cigar――三國連太郎』(1998・Parco出版)』『アニタ・ホーキンズ著、沢渡朔写真『西洋人形館』(1980・サンリオ出版)』『伊佐山ひろ子・沢渡朔著『昭和』(1994・宝島社)』

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