日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ミルウォーキー・ブリュワーズ
みるうぉーきーぶりゅわーず
Milwaukee Brewers
アメリカのプロ野球球団。ナショナル・リーグ所属(中地区)。フランチャイズをウィスコンシン州ミルウォーキーに置き、ミラー・パークを本拠地としている。球団名の変遷は、シアトル・パイロッツ(1969年)―ミルウォーキー・ブリュワーズ(1970年)。
2地区制の導入とともに両リーグで球団数の拡張が行われた1969年、シアトルにパイロッツとして発足し、アメリカン・リーグ西地区に配属された。しかし1年で経営が立ち行かなくなり、1953年にブレーブスがアトランタへ移転して以来、大リーグ球団がなくなっていたミルウォーキーの勧誘を受けてフランチャイズを移転。西地区所属のまま1970年から現名称となった。1972年に第2ワシントン・セネタースがテキサスに移転してレンジャーズとなり、これを西地区に配属するため、入れ替わりで東地区へ配置転換された。1981年はストライキで前、後期制となり、後期優勝して前期優勝のニューヨーク・ヤンキースと5試合制の地区優勝決定プレーオフで対戦したが勝てなかった。この年、サンディエゴ・パドレスから加入した抑えの切り札ロリー・フィンガースRollie Fingers(1946― )がセーブ王を獲得し、サイ・ヤング賞と最優秀選手(MVP)を同時受賞した。生え抜きのスター遊撃手ロビン・ヨーントRobin Yount(1955― )がMVPを受賞した1982年に球団初の地区優勝。カリフォルニア・エンゼルス(現ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)をプレーオフで破ってリーグ優勝し、ワールド・シリーズではセントルイス・カージナルスと対戦。3勝2敗から2連敗し、「世界一」にはなれなかった。両リーグ3地区制となった1994年からは中地区に配属された。1998年、両リーグの球団数拡張による地区再編成でアメリカン・リーグからナショナル・リーグの中地区へと所属が変わった。この年の7月から、オーナーだったバド・セリグBud Selig(1934― )がコミッショナー代行から正式にコミッショナーに就任したため、球団を手放し娘のウェンディ・セリグ・プリーブWendy Selig-Prieb(1960― )がオーナーとなった。2001年に現本拠地が開場。チームは1998年のリーグ初優勝以降成績不振が続き、2002年から04年までは3年連続最下位の屈辱を味わった。2005年1月には、ロサンゼルスの投資銀行家であるマーク・アナタシオがオーナーとなった。
[山下 健]
2005年以降
2005年は13年ぶりに勝率5割に達し、地区3位。2006年は4位と順位を下げたものの、翌07年は2位に浮上した。なお、日本人選手では、野茂英雄(のもひでお)投手(1999年)、大家友和(おおかともかず)投手(2005~06年)らがプレー。
2007年までの通算成績は、2851勝3266敗、地区優勝1回(アメリカン・リーグ)、リーグ優勝1回(同)、ワールド・シリーズ優勝0回。
[編集部]