メッツの戦い(読み)メッツのたたかい(英語表記)Battle of Metz

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メッツの戦い」の意味・わかりやすい解説

メッツの戦い
メッツのたたかい
Battle of Metz

1870年の普仏戦争中の会戦。開戦以来連戦連勝のプロシア軍に対し,フランス軍は同年7月末,M.マクマオン元帥の指揮下にメッツ (メス) 近郊に集結して反撃を策した。しかしプロシア軍は巧妙な作戦によって8月4日奇襲に成功,フランス軍主力をスダン (セダン) に圧迫し,A.バゼーヌ元帥の率いるフランス軍はメッツに包囲された。ナポレオン3世はメッツ救済をはかったが,逆にスダンに包囲されて9月2日降伏。メッツ守備軍の脱出の試みも失敗に終り,10月 27日バゼーヌ元帥は 14万の兵を率いてプロシア軍の軍門にくだり,その結果プロシア軍はその総力をパリに向けることが可能となり,戦争の帰趨が決った。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android