ルッジェーロ2世(その他表記)Ruggero Ⅱ

改訂新版 世界大百科事典 「ルッジェーロ2世」の意味・わかりやすい解説

ルッジェーロ[2世]
Ruggero Ⅱ
生没年:1095-1154

シチリア王。シチリア伯ルッジェーロ1世の子。1113年シチリア伯となる。北アフリカ(現在のチュニジア沿岸)を攻撃したが失敗。南イタリアへも勢力を拡大し,教皇カプア公,その他の諸侯と対立しながら28年にプーリア公となった。対立教皇アナクレトゥス2世の支持を得てシチリア王の称号を獲得し,パレルモで戴冠した(1130)。教皇インノケンティウス2世は,神聖ローマ皇帝ロタール3世,ビザンティン皇帝ヨハネス2世,ピサ,ジェノバなど南イタリアに強力な国家が成立するのをきらっている勢力を結集し,ルッジェーロに対抗した。この戦いは9年間続いたが,結局ルッジェーロが勝利し,王位を教皇に認めさせた。さらにアブルッツィ,カプア,ナポリなどにも支配権を拡大し,シチリアとイタリア半島南部にまたがる〈シチリア王国〉を建設した。北アフリカへも軍を送り,ジェルバ(1135),トリポリ(1146)などを占領した。またコルキュラコルフ)島を占領し(1147),ビザンティンの南イタリア支配を断念させた。彼は有能な政治家であり,ビザンティンやイスラムの制度を受け継いで強力な集権的国家を建設することに成功した。各地方に王室財務官と裁判官を配置し,封建領主や都市権限を大幅に制限した。また王国内の教会を支配し,司教や修道院長を直接に任命した。パレルモには国際的な性格の宮廷文化が成立した。
シチリア王国
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ルッジェーロ2世」の解説

ルッジェーロ2世(ルッジェーロにせい)
Ruggero Ⅱ[イタリア],Roger Ⅱ[英]

1095~1154(在位1130~54)

ノルマンシチリア王国初代の王。1095年,シチリア伯ルッジェーロ1世とアデライデ(アデラシア)との間に生まれた。1105年,9歳にしてシチリア伯位を継承。約7年間に及ぶ母アデライデ摂政期のあと,12年に16歳で成人式を迎え,みずから伯領を統治するようになった。27年,アプーリア公グリエルモが他界すると,その公位を受け継ぎ,アプーリア,カラブリア,シチリアを支配するようになった。さらに30年の教皇庁分裂の際に,教皇アナクレトゥス2世からシチリア王位を授けられ,シチリア王国初代の国王となった。イスラーム教徒を含む軍隊と効率的な行政制度,そして豊かな経済力に支えられて,強力な王権を確立した。

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世界大百科事典(旧版)内のルッジェーロ2世の言及

【イドリーシー】より

…セウタに生まれ,コルドバで学ぶ。スペインと北アフリカの各地を旅した後,ノルマン王国国王ルッジェーロ2世に招かれてパレルモの王宮に居を定める。その後,1165年に他界するまでルッジェーロ2世,グッリエルモ1世の2人の王に仕え,当時のノルマン宮廷のアラブ・イスラム文化を代表する学者となった。…

【シチリア王国】より

…このころメッシナに定住していたノルマン人がこの内紛に乗じてシチリアに進出,1061年から91年までに全島を征服した。その指導者ルッジェーロ1世は〈シチリアとカラブリアの伯〉を称し,その子ルッジェーロ2世は〈シチリアとプーリアの王〉となり,ここにシチリア王国が成立した。彼は教皇庁と争ってその王位を承認させ,トリポリなど北アフリカ沿岸への遠征を行って,地中海における重要な勢力となった。…

※「ルッジェーロ2世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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