カプア(読み)かぷあ(英語表記)Capua

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カプア」の意味・わかりやすい解説

カプア
かぷあ
Capua

イタリア南部、カンパニア地方の都市。古代中世にもっとも栄えた。遅くとも紀元前471年にエトルリア人によって建設されたと考えられるが、まもなくオスキ人一派、ついでサムニウム人によって占領され、前4世紀後半ローマに併合された。第2回ポエニ戦争の際ハンニバル側につき、前211年ローマ軍に攻囲されて陥落し、都市共同体は解体され、カプア地方はローマの公有地とされた。当地では剣闘士の競技が盛んであり、彼らの訓練所が設営されていたが、前73年この訓練所を脱走したスパルタクスは、奴隷軍を率いてローマに対し蜂起(ほうき)した。前1世紀後半カエサル、アウグストゥスらにより当地に植民市が建設され、帝政期には推定人口30万を擁する大都市として繁栄した。西ローマ帝国滅亡後、バンダル人の強略、ビザンティン帝国の支配を受け、アラブ人に破壊されたが、856年に新たに町が建設された。その後、ノルマン人やスペインなどに支配されたが、1860年ガリバルディがボルトゥルノ川の戦いでブルボン軍を破った。

 古代のカプアは現在サンタ・マリア・カプア・ベテレSanta Maria Capua Vetereとよばれる人口3万0140(2001国勢調査速報値)の町となり、ローマ時代の円形劇場や神殿跡が残る。現在のカプアは古代のカプアの北西7キロメートルにあり、人口1万9030(2001国勢調査速報値)、中世の宮殿教会がある。

[平田隆一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カプア」の意味・わかりやすい解説

カプア
Capua

古代名カシリヌム Casilinum。イタリア南部,カンパーニア州カゼルタ県,ナポリ北方約 30kmの町。農機具製造により,またカンパーニア地方の古代都市としても知られている。前 600年頃エトルリア人によって建設されたとされる。ローマ時代を通じて繁栄を続け,前 216~211年にはハンニバルとローマ軍が交通の要地であったこの地を奪い合った。円形劇場,凱旋門が残る。特に香料と青銅細工の生産で有名であったが,のち9世紀シチリア島のアラビア人に破壊され,856年現在の町が再建された。兵器工場,化学工場,砂糖工場,ワイン醸造工場が立地。交通の要地。カンパーニア博物館がある。人口1万 7967 (1991推計) 。

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