翻訳|Tripoli
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北アフリカ、リビア北西部にある同国の首都。地中海岸の商工業・港湾都市で、リビアの政治、経済、文化、交通の中心地である。人口177万3000(1999推計)。市西部の半島に方形住居の密集した古いアラブ風市街があり、その周辺に植民地化以来建設されたヨーロッパ風市街が広がる。旧市街にはローマ時代の凱旋(がいせん)門、16世紀の城塞(じょうさい)、18世紀のモスクなどがある。工業として、後背地の農産物を加工する製粉、搾油、たばこ、缶詰、皮革、織物などがある。国内交通の起点で、南西34キロメートルに国際空港がありローマなどと結ぶ。
[藤井宏志]
紀元前4世紀、フェニキア人がリビア北西岸に建設したレプティス・マグナ、オエア、サブラタの三つの都市を総称してトリポリス(三都市の意)とよんだことに始まる。現在のトリポリは中央のオエアを継承しており、ほかの二つは遺跡として残るのみである。のちローマの支配を受け、内陸部のオアシスやサハラ以南地域とを結ぶ隊商路の始点として栄えた。7世紀以降アラブ人、スペイン人、ヨハネ騎士団の支配を受けたが、1551~1911年のオスマン帝国の支配下では、リビアを治めるパシャ(王)の首都として政治的中心地となった。1912年イタリアの領土となり、植民地行政の拠点として近代的都市、港湾、道路が建設された。第二次世界大戦では戦場となり、43年にはイギリス軍に占領された。戦後、1951年独立しベンガジとともにリビア連合王国の首都となり、63年の連邦制廃止により単独の首都となった。69年のリビア革命後も首都として発展し人口は増加している。
[藤井宏志]
レバノン北西部の商工業・港湾都市。アラビア語名トラブルース・エシュ・シャムTarābulus esh Shām。フランス語や英語ではトリポリという。首都ベイルートの北64キロメートル、地中海に面する。首都に次ぐ同国第二の都市で、人口21万2900(2003推計)。人口の大多数はスンニー派イスラム教徒で、ほかにアラウィー派、マロン派、キリスト教徒などが住む。周辺にはパレスチナ人難民キャンプが複数存在している。紀元前8世紀にはすでにシドン人、ティロス人、アラド人が3か所に住み分かれ、「三つの都市」を意味するトリポリスTripolisとして栄えていた。紀元後7世紀にイスラムの征服を受け、12世紀に一時十字軍の占領を経験している。以降エジプトのマムルーク朝、さらにオスマン帝国の版図に入った。第一次世界大戦後レバノンの一部としてフランスの委任統治を受けた。これにより、歴史的な後背地であったシリア内陸部と切り離され、その港湾機能は大打撃を受けた。しかし、イラクからパイプラインが通じ、石油積出し港、精油業の中心として栄え、また軽工業も発展した。1975年以来のレバノン内戦では幾度も激しい戦闘の舞台となり、大きな損害を被った。十字軍の城やマムルーク朝時代の望楼「ライオンの塔」などが残り、周辺から先史時代の遺物も発見されている。
[高橋和夫]
リビア西部,地中海に面する港湾都市で,リビアの首都。トリポリタニアの主都。都市域人口201万(2003)。アラビア語ではタラーブルス・アルガルブṬalāburs al-Gharb。前10世紀ころフェニキア人により建設され,前6世紀にはカルタゴの,また前146年から後439年まではローマ帝国の支配を受けた。古代においては,ヨーロッパ向け穀物の集散地として,またスーダンなどアフリカ内陸部へのキャラバン・ルートの起点として栄えた。7世紀半ばアラブの侵入によりアラブ・イスラム世界に入り,市内の多くの初期イスラム時代の遺跡は,この地にイスラム文化が栄えたことを物語っている。1912年リビアのイタリア植民地化とともに,トリポリは,流入するイタリア植民者やユダヤ教徒が支配する食品加工業,流通・金融業の中心地となり,また第2次世界大戦後は,リビアの外国軍事基地化と石油ブームを背景に,外国資本と結ぶ土着商人層や王族の繁栄に彩られた植民地都市の景観を強めた。69年の革命後は,リビアの産業,貿易,文化の中枢をなしている。
執筆者:藤田 進
レバノン北部の中心都市。人口21万2900(2003)。港湾都市として紀元前から知られる。アラビア語ではタラーブルス・アッシャームTarāburs al-Shām。〈三つの都市〉を意味するギリシア風のトリポリという名称の由来はシドン人,テュロス人,アラドス人が3ヵ所に住み分かれていたからで,フェニキア名は不明。イスラム時代に商業・手工業都市として栄え,十字軍時代には一時十字軍によって占拠された。現在はオスマン・トルコ時代の市街区と港湾区とに二分されているが,人口のほとんどがスンナ派のイスラム教徒で,1958年の第1次内戦では反政府派の拠点であった。1934年,イラクのキルクーク油田から送油管が通じ,発電所も近郊にあり,紡績,織布,セッケン,食品加工など軽工業の中心地となっている。
執筆者:林 武
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地中海に面し,リビアの首都。前10世紀頃フェニキア人により建設され,その後カルタゴやローマの支配を受けた。アラブ時代になってアラブ・イスラーム都市として栄えた。オスマン帝国期,さらにイタリア植民地期をへたのち,リビアが独立すると行政の中心として,さらに石油資源に支えられた経済活動の拠点として発展した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…正式名称=リビア・アラブ社会主義人民共和国Jamāhīrīya al‐‘Arabīya al‐Lībiyā al‐Ishtirākīya al‐Sa‘biya∥Socialist People’s Libyan Arab Jamahiriya面積=175万7000km2人口(1996)=544万人首都=トリポリTripoli(日本との時差=-7時間)主要言語=アラビア語通貨=リビア・ディーナールLibyan Dīnārアフリカ北部,地中海のシドラ湾周辺からサハラ砂漠にかけて広がる共和国。アラビア語ではリービヤーLībiyā。…
※「トリポリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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