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ロジャンコ ロジャンコRodzyanko, Mikhail Vladimirovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ロジャンコ
Rodzyanko, Mikhail Vladimirovich

[生]1859.2.21. ウクライナ
[没]1924.1.24. ユーゴスラビア
ロシアの政治家。十月党の指導的メンバーで,1911~17年第3,4国会 (→ドゥーマ ) の議長を務めた。二月革命のあと,国会の臨時委員会の議長となり,臨時政府を承認したが,閣僚にはならなかった。十月革命後 A.I.デニーキンの反ボルシェビキ軍に加わったが,敗れて亡命し,ユーゴスラビアで死んだ。回想記『帝国の崩壊』 Krushenie imperii (1927) がある。

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世界大百科事典 第2版の解説

ロジャンコ【Mikhail Vladimirovich Rodzyanko】

1859‐1924
帝政ロシアの政治家。南ロシアの大地主で,ツァーリ政府の与党である地主・資本家政党オクチャブリストに属し,1911年以後は国会議長として政府の帝国主義的諸政策を支持した。17年の二月革命に際し,国会臨時委員会を代表してツァーリおよび軍首脳部と交渉し,革命の阻止をはかった。十月革命後の内戦期に反革命運動に加わったのち,ユーゴスラビアに亡命し,当地で死去した。【原 暉之】

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世界大百科事典内のロジャンコの言及

【オクチャブリスト】より

…自由主義的地主・資本家の穏健分子を中心に,1905年10月17日発布の〈国家秩序改善についての皇帝宣言(十月宣言)〉に沿った線での立憲君主制の確立をめざして,同年11月に結成された。翌年に開設された国会では,初め振るわなかったが,07年6月3日の選挙法改訂の結果,同年に行われた第3国会の選挙で148議席を占めて第1党となり,ツァーリ政府の有力与党の役割を演じ,自派から議長を出した(N.A.ホミャコーフ,A.I.グチコフ,M.V.ロジャンコ)。12年以後の第4国会でも引き続き議長を出した(ロジャンコ)が,議席は減退した。…

【ロシア革命】より

…というのはモギリョフの大本営にいた皇帝が,イワーノフ将軍に命じて首都革命の鎮圧軍を出動させていたからである。一方,大本営の軍首脳は国会議長ロジャンコと接触し,皇帝に次々に譲歩を進言していた。 首都では3月1日に兵士が最終的にソビエトに忠誠を誓うことを決議し,これが〈命令第1号〉という文書にまとめられた。…

※「ロジャンコ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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