日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ローレンス(Thomas Edward Lawrence)
ろーれんす
Thomas Edward Lawrence
(1888―1935)
イギリスの考古学者、第一次世界大戦下のアラブ独立運動指導者。「アラビアのロレンス」と称された。オックスフォード大学在学中、シリア、メソポタミア地方を旅し、卒業論文「十字軍城砦(じょうさい)」を執筆、歴史学の優等賞を得て卒業(1910)。1911年、ヒッタイトの古代都市カルケミシュの遺跡発掘隊に参加し、2年近く同地に滞在してアラブ人の言語や服装、食生活に慣れ親しんだ。第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)(1914)とともに陸軍省に入り、トルコ参戦後、カイロに派遣されて情報活動に従事。1916年、トルコ領内のアラブ独立運動を支援するため、フセインの三男ファイサルの政治顧問、連絡将校となり、以後2年近く、身を賭(と)してゲリラ戦の指導にあたった。その体験は、不朽の名著『知恵の七柱(ななはしら)』The Seven Pillars of Wisdom(1926、省略版『砂漠の反乱』Revolt in the Desert〈1927〉)を生んだ。戦後、パリ平和会議のイギリス全権団に加わり、また植民地省のアラブ問題顧問を務めたが、政府の帝国主義的な中東政策に幻滅し、辞任した。その後、偽名で空軍の一兵卒となり、露見すると再度変名して戦車隊に入るなどしたが、1925年ふたたび空軍に入隊。1935年2月の除隊後は、ドーセットの山荘にこもった。3か月後、愛用のオートバイの交通事故で死去。
[石井摩耶子]
『柏倉俊三訳『知恵の七柱』全3巻(1969~1971/完全版・2008~2009・平凡社・東洋文庫)』▽『R・グレーヴズ著、小野忍訳『アラビアのロレンス』(1963・平凡社)』▽『中野好夫著『アラビアのロレンス』(岩波新書)』▽『スレイマン・ムーサ著、牟田口義郎・定森大治訳『アラブが見たアラビアのロレンス』(中公文庫)』