2輪の自動車の総称。前後に各1輪をもち、通常、後輪を駆動、前輪を操向して走る自動車。オートバイの呼称は最初期の英語オートバイシクルautobicycle(自動自転車)の名残(なごり)で、今日では日本でしか通用しない。英語ではモーターサイクルmotorcycle、米語ではモーターバイクmotorbike、フランス語ではモトシクレットmotocyclette、イタリア語ではモトチクレッタmotocicletta、ドイツ語ではモートルラートMotorradとよび、世界的に「モト」あるいは「バイク」という呼び方が定着している。ごく一般的に二輪自動車の総称だが、日本では区別の必要上モーペットやスクーターを除外することもある。法律上は自動二輪車と50cc以下の原動機付自転車に分かれる。
[高島鎮雄]
1885年ドイツのダイムラーが完成した初の実用的なガソリン自動車は、木製の二輪車に単気筒264cc、0.5馬力ガソリンエンジンを取り付けたものであった。今日のオートバイの祖先といえる。それに先駆けて2輪の蒸気自動車がつくられた記録もある。しかし小型・軽量で力が強く、取扱いの簡便なガソリンエンジンの完成により、オートバイは初めて実用的な乗り物としての地位を獲得した。以来オートバイは自動化された最小規模の交通機関として製造され、使われてきた。日本では島津楢蔵(ならぞう)が1909年(明治42)に独力で試作した4サイクル400cc車が第一号で、彼は外国車に学んでキャブレターや点火の電気系統まで独力でつくりあげた。12年にはNMC250cc車が初めて20台余製作され、200~250円で販売された。14年(大正3)になると有名なアサヒ号が本格的量産に入り、第二次世界大戦前には年産1000のオーダーに達するものもあった。
全身を気流にさらして走る爽快(そうかい)感と、体ごと傾けて操向する感覚などから、主としてスポーツ用として発達してきたといってよい。同時に四輪車を買えない、若い低所得者層の足であったことも否定できない。たとえばイギリスではサイドカー付きオートバイの税金が、普通のオートバイと同等に安かったので、大人2名、ないしは大人1名と子供2名が乗れるサイドカーが実用化されていたほどである。
日本でも第二次世界大戦後の1950年(昭和25)からほぼ10年間、オートバイは第一次黄金時代を迎えた。それは主として人員および軽貨物の輸送用に活躍し、日本経済の復興に大きく貢献した。その後一時下火になったが、70年前後からふたたび人気を盛り返し、今日に至る第二次黄金期を現出させた。第二次のオートバイ・ブームは表向きスポーツ志向型であるが、輸送面にもいまなお大きく寄与している。オートバイの一種と考えられるものにスクーターがあり、第二次大戦直後の窮乏時代に世界的に大流行したことがある。それはいったん消滅したが、80年代に入るころ日本で復活し、その軽便さと低価格、高い経済性ゆえに、女性を含む広い層に愛用され、ソフトバイクの名で親しまれている。
第二次大戦後、世界的に乗用車の大衆化が著しかったので、オートバイは衰退の一途をたどった。しかし、日本での乗用車は1960年代まで大衆化しなかったので、オートバイの生産が続けられ、この間に設計、生産の両面で大きな技術革新を遂げた。この結果、世界的にスポーツ用オートバイ・ブームが再燃したとき、大規模なオートバイ産業をもっていたのは日本だけで、日本のオートバイは世界を制することとなった。82年に例をとれば、日本は約706万台の二輪車を生産したが、これは2位イタリアの約6.8倍に相当した。しかし、1980年代後半から生産台数は減少傾向にあり、95年の生産台数は約275万台となっている。
[高島鎮雄]
小は単気筒50ccで、折り畳んで乗用車のトランクに収容できるものから、大は4気筒1600ccまで、段階的に各種がある。日本の道路運送車両法施行規則では、「エンジンの総排気量50cc以下のものを第1種原動機付自転車、50cc超125cc以下のものを第2種原動機付自転車、125cc超250cc以下のものを2輪の軽自動車、250cc超のものを二輪の小型自動車」と分類している。道路交通法によれば免許は原動機付自転車(50cc以下)と自動二輪車(50cc超)の2種で、普通免許では原付には乗れるが、軽自動二輪車以上には乗れない。ソフトバイクは主として50cc以下の第1種原付で、まれに2人乗れる第2種原付のものもある。日本では750ccを超える大型車は、日本人の体格にあわないとの理由から「国内で販売することは好ましくない」との行政指導が行われており、売買できない。ただし輸入車は容認されているので、日本製大型車を逆輸入するケースもみられる。モーペットというのはモーター・ペダルの略で、本来50cc以下の補助エンジンを付けた自転車をさし、ペダルがあることが大きな条件となる。モーペットはドイツ語で、フランスではシクロモトとよぶ。フランスは50cc以下でペダル付きならば無免許になるので、日本からの輸出車はスポーツモデルにもペダルを付けている。一方スクーターを定義づける規則はないが、一般的に床が低く、両脚を揃えて乗れ、運転も安易な軽便二輪車といえる。
用途別には、純粋実用車、旅行・スポーツ用のツーリング・スポーツ車、不整地走行もできるオフローダー、ロードレーサーなどに分けられる。これらのうち、オフローダーに含まれるモトクロスやトライアルなどの競技用車、ロードレーサーなどは車両登録できず、したがって公道や公共のための場所を走ることはできない。最近は中排気量(250cc)以上の多気筒ツーリング・スポーツ車や、中排気量以下のオフローダーの人気が高い。オートバイの生産には四輪車ほどの大規模な工場設備を必要とせず、生産上の小回りもきくのでバリエーションを増やすことが比較的容易なため、各社とも多くのモデルをつくっている。
[高島鎮雄]
前後輪の間にエンジンを備え、クラッチ、変速機を経てチェーンで後輪を駆動するのがもっとも一般的である。最近ではチェーンのかわりにゴムベルトを用いるものもあり、大出力車ではシャフト駆動も少なくない。フレームは鋼管のクレードル型やダブル・クレードル型が基本だが、エンジンを強度メンバーとして使ったダイヤモンド型や、鋼板プレス製のバックボーン型もある。前後にコイルスプリングによるサスペンションsuspension(懸架装置)をもつが、前ではテレスコピックtelescopic(望遠鏡のように伸縮する筒形)、後ろではスウィングアームswing armが圧倒的である。最近は後ろのスプリングを1本とし、シート下に収めたものが増えつつある。ブレーキは機械式の内部拡張式ドラムが基本であるが、最近では油圧式のディスクブレーキを用いるものが多く、高速車では前輪に2枚のディスクを用いるものも珍しくない。同様、ホイールもワイヤ式が基本だが、鋼板プレスや軽合金製のものも増えている。エンジンでは、四輪乗用車からすっかり姿を消した2サイクルが健在で、とくにスクーターなどの軽量車、オフローダーに強味を示している。2サイクルでもガソリンとオイルの分割給油、吹き返し防止用のリードバルブやピストンバルブなどにより、過去に弱点とされた点はすべて改善されている。4サイクルでは多気筒、OHC、DOHCなどが広く普及し、高性能を達成している。2気筒、3気筒、4気筒、6気筒などでは並列が一般的であるが、最近では昔風のV形2気筒を最新の技術で復活させた例もみられる。
エンジンは、走行により生じる気流で冷却する空冷式が一般的であったが、最近ではシリンダーやヘッドの一部または全体を水冷式としたものもある。変速機も、自動遠心式クラッチだけのもの、自動遠心式クラッチとベルト式の無段変速機を組み合わせたもの、自動遠心式クラッチと2段ないしは3段の足動変速機を組み合わせたもの、手動クラッチと足で操作する変速機を組み合わせたものなど各種があり、サイズ、使用目的、性能などにより使い分けられている。通常のオートバイでは左手のレバーで多板式クラッチを切り、左足のペダルでギアを入れ換える。変速機はリターン式が一般的で、一部の実用車にロータリー式がみられる。実用車では3段から4段変速止まりが一般的である。スポーツ車では5段が標準的で、なかには6段のものもある。また数こそ少ないが、乗用車並みの本格的な自動変速機を備えるものもある。
かつて、オートバイのエンジンはキックペダルで始動させるものと決まっていたが、今日では最小型のスクーターにまで小型電気モーターによるセルフスターターがついている。新しいものにはデジタル表示のメーターさえ採用されており、最新の機械工学、電子工学、新素材などを取り入れ、きわめて高い水準のオートバイが製造されている。ただし、多発する事故や暴走族問題にみられるように、人間のメンタリティが、オートバイの発達に追い付いていないのが、現在大きな問題となっている。
[高島鎮雄]
『富塚清著『オートバイの歴史』(1980・山海堂)』
エンジンを装備した二輪車。〈オートバイ〉の名称は,登場初期のころ英語でオートバイシクルautobicycleと呼ばれていたのを日本式に略して生まれた日本語であり,現在,英語ではモーターサイクルmotorcycleと呼ぶのが一般的である。日本では小型のものをモーターバイクと呼ぶ場合も多く,またスクーターはオートバイの範疇(はんちゆう)に含めないのがふつうである。なお,〈道路交通法〉ではエンジンの排気量51㏄以上のものを自動二輪車,50㏄以下のものを原動機付自転車と呼んで区別している。
1885年ドイツのG.ダイムラーが,ガソリンエンジンをサドルの下に取り付け,ベルトにより後輪を駆動させる二輪車を製作したのがオートバイの始まりである。欧米諸国では主として走行を楽しむスポーツ用として発展を遂げ,第1次および第2次世界大戦中はその機動力を生かし,伝令・斥候用,先導用として単体あるいは側車(サイドカー)をつけて多用された。日本に初めて輸入されたのは1900年ころであり,以後,おもに軍や警察などで用いられた。ちなみにオートバイを交通取締りに用いたのは18年からであり,当初は赤く塗装されていたことから赤バイの名で呼ばれていた。日本でオートバイの生産が本格化したのは第2次大戦後で,軍放出の携帯用通信機などの発電用エンジンを自転車に架装することから始まった。その後しばらくの間は,手軽な交通手段や荷物運搬の手段として使われていたが,しだいにオートバイが本来もっているスポーツ性が注目され,この分野での利用が急増した。日本はオートバイ生産台数,輸出台数とも世界一であるが国内の通常の販売網ではエンジンの排気量750㏄を上限とし,それを上回る排気量をもつ車種は行政指導で事実上販売できないため,輸出用として開発された1000~1200㏄の車種を逆輸入する現象もでてきている。
オートバイはその用途によって多種のものがあるが,大別すればスポーツ性を重視したタイプと,通勤,通学などの足がわりとして利用される比較的小型のタイプの2種になる。前者はさらに舗装道路を快適に走行することを第一義に考えたオンロードモデルと,路面状態を選ばずどんな悪路でも走行可能な性能をねらったオフロードモデルに分けられる。
運転装置は,基本的には自動車と変わらない構成となっている。そのおもなものは,右手操作のスロットルグリップ(自動車のアクセルペダルに相当)および前輪ブレーキレバー,左手操作のクラッチレバー,右足操作の後輪ブレーキペダル,左足操作のシフトペダルなどである(イギリス車は伝統的に右足シフトペダル,左足で後輪ブレーキペダルを操作する車種が多い)。
オートバイを構成する要素を機能別に分けると,エンジン,クラッチ,トランスミッション,タイヤホイール,フレーム,サスペンション,ブレーキなどになる。エンジンは,空冷式のガソリンエンジンがほとんどで,高性能をねらう車種には水冷式のものもある。また排気量250㏄前後を境とし,それ以下の車種では2サイクルエンジンを,それ以上の排気量の車種は4サイクルエンジンを採用するものが多い。エンジンの出力は1段減速された後クラッチを経て変速機に伝えられる。自動車の場合は,摩擦板(クラッチディスク)とこれをはさむ鋼板(プレッシャープレート)は各1枚ずつで構成されることが多いが,高回転型のエンジン特性をもつオートバイのクラッチは,これらを複数枚用いてトルク伝達容量を確保するとともに,慣性モーメントを小さくする設計がなされる。また変速機の潤滑油にクラッチを浸し,冷却作用を行わせる形式の湿式多板クラッチも用いられている。変速機は5段前後の変速段数をもつ車種が多く,歯車どうしはつねにかみ合った状態で空転しており,必要な変速比の歯車のみを軸に固定しトルクを伝達する形式がとられる。このほか,大型車では流体自動変速機,小型車ではベルトを用いた簡便な自動変速機も採用されている。変速機からのトルクは,ふつうチェーンを用いて後輪へ伝達するが,チェーンの代りに回転軸を用いてトルクを後輪へ伝達する方式(シャフトドライブ方式)もある。タイヤを装着するホイールは,リムをスポークでハブに固定する形式が多いが,最近では重量軽減,組立精度の向上および保持性,生産性,デザイン上の自由度など多くの利点で,アルミダイカスト製のホイールの採用が漸増している。ブレーキはドラムブレーキが一般的で,高性能車には,激しい制動時にも安定した効きを示すディスクブレーキが採用される。フレームは,サスペンションを介して前後輪を支持し,エンジン,シート,ガソリンタンクのほか,すべての機能部品が取り付けられる。フレームには重量が軽く,かつ剛性が高いことが要求されるため,ふつう鋼管溶接構造とする。サスペンションは,走行中の路面からの衝撃を吸収するとともに,車輪をつねに路面に接地させる役目をもち,操縦性,安定性に寄与する重要な機能を果たす。前輪サスペンションは,望遠鏡のように内筒と外筒とが伸縮する機構をもつフォークで車輪を左右から支え,内部にコイルばねとショックアブソーバーが組み込まれる形式が多い。後輪サスペンションは,前方にピボットをもつアームで車輪を支持し,スプリングとショックアブソーバーが一体になったコイルダンパーユニットでフレームに取り付けられる。
オートバイはもっとも手軽な乗物の一つであるが,それだけに事故も起きやすく,かつ大事故につながりやすい。このため公安委員会所属の組織として,各都道府県下に二輪車安全運転推進委員会が設置され,各メーカーの協力の下,安全運転の普及がはかられている。一方,高等学校では生徒の取得免許証の一時預りなどを実施するなどの現象も現れている。
執筆者:中谷 弘能
第2次大戦後,日本のオートバイ生産は1946年に早くも再開され,経済の復興と歩調を合わせて生産台数は増加の一途をたどった。60年には生産台数が100万台を超え,フランスを抜いて世界第1位の生産国となった。国内市場は62年以降減少傾向にあったが,76年以降いわゆる〈ファミリー・バイク〉のヒットで急増した。輸出はほぼ一貫して高い伸びを示し,1962年にはフランス,イタリア,西ドイツを一気に抜いて同じく第1位になった。このころから,日本製オートバイがヨーロッパの国際レースで優勝するようになり,性能のよさが世界に認められるようになった。日本のメーカーは,72年以降,シェア順に本田技研工業,ヤマハ発動機(ヤマハの直系子会社),スズキ,川崎重工業の4社であるが,本田,ヤマハ,スズキの大手3社で90%余のシェアをもつ。また世界のオートバイ生産の過半を占め,2位,3位のイタリア,台湾を大きく引き離している。保有台数でも世界第1位である。生産車種別では,外国の生産がモペット(ペダルのついた原動機付自転車,排気量は通常50㏄以下)や排気量の小さい小型車に集中しているのに対し,日本は小型車から大型車まで幅広く生産し,モペットを除いたモーターサイクルでは日本の世界市場に占めるシェアは約8割と圧倒的である。輸出市場に占めるシェアも約8割で,イタリア,フランスを寄せつけず,車種別では日本の輸出のほとんどが51㏄以上であるのに対し,イタリアやフランスは大半がモペットである。輸出比率(輸出台数/国内生産台数)が6~7割に達しているにもかかわらず,海外に有力な競合メーカーがほとんどないので,これまで四輪車のような貿易摩擦問題はほとんど表面化しなかったが,アメリカ唯一のメーカーのハーレー・ダビッドソン社(1300㏄クラスの大型車が中心)が経営危機に陥ったことから82年9月問題化し,輸入規制が実施された。各社とも比較的早くから中進国,途上国を中心に現地生産を進めており,本田と川崎はアメリカにも現地工場がある。
執筆者:鈴木 明彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新