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カイロ カイロ Cairo

翻訳|Cairo

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

カイロ
カイロ
Cairo

エジプトの首都。アラビア語ではアル・カーヒラ Al-Qāhirah。アフリカ大陸最大の都市。ナイル川の東岸,上エジプト下エジプトの接点に位置し,日本の屋久島とほぼ同緯度にある。気候は一年中乾燥していて年降水量は 25mm程度。

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デジタル大辞泉の解説

カイロ(Cairo)

エジプト‐アラブ共和国の首都。ナイル川河口の三角州にあるアフリカ大陸最大の都市で、アラブ世界の政治・文化の中心地。付近には古代エジプト文明の遺跡が多い。1979年「イスラム都市カイロ」の名で世界遺産文化遺産)に登録され、2007年に「カイロ歴史地区」に名称変更された。人口、行政区676万(2006)。

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百科事典マイペディアの解説

カイロ

エジプトの首都。アラビア語ではカーヒラ。ナイル川にのぞみ,その河口デルタ南端から南方約20kmの右岸に発達。政治,経済,文化の中心でアフリカ最大の都市。国際空港がある。
→関連項目エジプト

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世界大百科事典 第2版の解説

カイロ【Cairo】

エジプト・アラブ共和国の首都。人口685万(1994)。アラビア語ではカーヒラal‐Qāhiraで,〈勝利者〉の意。ミスル・アルカーヒラMiṣr al‐Qāhiraあるいは単にミスルMiṣrともよばれた。ミスルは〈軍営都市〉もしくは〈エジプト〉をも意味する。
[位置と景観]
 細長いナイル川の谷がデルタへ扇形にひろがろうとするかなめの位置にあり,近代以前はナイル川の水運により,19世紀中葉以降になるとここを中心として国内各地とつながる鉄道網や道路網をも加えて,つねにエジプト全土の政治・経済・文化の中心であった。

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大辞林 第三版の解説

カイロ【Cairo】

エジプト-アラブ共和国の首都。ナイル川下流の三角州の南端に位置するアフリカ最大の都市。エジプト博物館や多数のモスクがあり、郊外にはピラミッド・スフィンクスなど史跡が多い。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

カイロ
かいろ
Cairo

エジプトの首都。ナイル川デルタの南端から25キロメートル南の、西アジアとアフリカ、ヨーロッパを結ぶ要地に位置し、エジプトの政治、経済、文化の中心地であると同時に、アラブ世界、アフリカ大陸で最大の国際都市である。1979年に「カイロ歴史地区」として世界遺産の文化遺産に登録されている(世界文化遺産)。アラビア語ではアル・カーヒラAl-Qhirahという。人口710万9000(1999推計)。ギゼーなど郊外を含めた大カイロ市は約800万人に達する。気候は年降水量26.7ミリメートルという砂漠気候であり、大人口が生活できるのはナイル川の恵みによる。夏は8月の平均気温が27.9℃と暑いが、湿度が低いためしのぎやすい。冬は1月の平均気温が14.0℃で、雨や曇りの日はやや寒いが、晴天のときは暖かく快適で、ヨーロッパからの観光客があふれる。4月から初夏にかけ、カムシンとよばれる砂まじりの熱風が南の砂漠から吹く。年間を通じて地中海からの北風が卓越するので、重工業地帯は南郊につくられている。
 カイロはエジプト最大の工業都市であり、第一次世界大戦後に発達した紡績、食品加工などの軽工業のほか、鉄鋼、造船、鉄道車両、化学肥料などの重工業、さらには石油精製・石油化学工業などがあり、スエズの精油工場とはパイプラインで結ばれている。19世紀末57万人であった人口は、1922年のエジプト独立後急速に増加し、今日では年4%以上の人口増加率を示している。中東戦争中の不整備もあり、住宅不足、交通渋滞、電話回線不足、学校の不足など、都市生活基盤の悪化がみられる。食料品、日用品の不足もしばしばおこっている。
 市域はナイル川デルタの二大支流分岐点のすぐ上流に位置し、主としてナイル川右岸一帯と、中の島であるゲジラ島、ローダ島および左岸沿いに広がっているが、近年人口増加により、北郊、南郊へと拡大しつつある。市内は伝統的な旧市街とヨーロッパ風の新市街に分かれている。旧市街は南のオールド・カイロから、東のモカッタムの丘の麓(ふもと)に広がるイスラム地区までの区域で、低いれんが造りの住居、バザール、手工業工房が混在している。コプト教会やアル・アズハル・モスク、スルタン・ハッサン・モスク、ムハンマド・アリー・モスクなどの各時代のモスク、旧宮殿のシタデルがあり、歴史の重みを感じさせる。新市街は運河を埋め立てたポート・サイド通りから、西のナイル川沿いに広がっている。タハリール通りとラムセス通りに挟まれた区域は市の中心地で、付近には、各省庁、市役所、中央郵便局、航空会社、ホテル、中央市場、バスターミナル(タハリール広場)などがあり、ビジネスセンターとなっている。学術文化施設として、ツタンカーメンの黄金の棺(ひつぎ)で知られるエジプト博物館、カイロ大学、アメリカ大学などがある。右岸沿いのガーデン・シティ、ゲジラ島のザマレク、南のマアディ、左岸のドッキー、空港道路沿いのヘリオポリスは中・高級住宅地となっている。ラムセス中央駅北部のシュブラは工場が混在する労働者住宅地である。旧港町のブラクは旧市街のオールド・カイロ、イスラム地区とともにスラム化が進んでいる。北部のラムセス中央駅は国内鉄道のターミナルである。カイロ国際空港は北東約30キロメートルの砂漠の中にある。また、南西5キロメートルには三大ピラミッドやスフィンクスで有名なギゼーがある。[藤井宏志]

歴史

642年、アラブ軍を率いたアムル・ブン・アルアースは、ナイル東岸に軍営都市(ミスル)フスタートを建設し、エジプト統治の拠点とした。ついで870年、半独立王朝を樹立したアフマド・ブン・トゥルーンは、フスタートの北東約2.5キロメートルの地点に、彼の名を冠したモスクを中心とする新都カターイを建設した。さらに、969年エジプトを攻略したファーティマ朝第4代カリフ、ムイッズは、カターイのさらに北東約2.5キロメートルの地点に、東西約0.9キロメートル、南北約1.2キロメートルの城壁に囲まれた新都を建設し、カーヒラ(勝利者)と命名した。現在のカイロは、このカーヒラを旧市街とする都会である。城壁に囲まれた市街は多くの地区(ハーラ)によってくぎられていたが、このハーラは、モスク、市場(スーク)、公衆浴場(ハンマーム)などを備えた、都市民の最小生活空間を構成していた。さらに、サラーフ・アッディーン(サラディン)は、防衛上の目的から、カーヒラの南方約1.5キロメートル、カターイの東方約1キロメートルの丘の上に城塞(じょうさい)を築き、以後アイユーブ朝(1169~1250)、マムルーク朝(1250~1517)時代において、市街区は南西のカターイ方面に向けて拡張した。こうして、この時代のカイロは、当時すでに衰退しつつあったバグダードにかわって、イスラム世界第一の都会として繁栄した。『千夜一夜物語』に反映しているのは、繁栄時のバグダードとマムルーク朝の前半期であるバフリー・マムルーク朝(1250~1390)時代のカイロの生活であるといわれている。1517年のセリム1世による征服以後、エジプトはオスマン帝国の一属州となったため、カイロはそれまでの繁栄を失ったが、その間にあっても、市街区は徐々に西方に拡張していった。ナポレオンの遠征(1798~1801)以後、ムハンマド・アリー朝(1805~1953)下において、近代国家建設の一環として、カイロの都市計画が練られ、市街区の大幅な拡張がみられた。とりわけイスマーイール(在位1863~79)時代以降の発展は目覚ましく、旧市街から西方ナイル川に至る地域、さらにはナイル西岸にまで、ビルディングの建ち並ぶ近代都市カイロが出現した。こうしたカイロの拡張は、エジプト人口の増大、都市化現象のために、1952年の革命以後の共和国時代においても続いた。ここに、カイロは、旧カイロ(フスタート)のみならず、ナイル西岸の新住宅区ギゼー、ドッキー、アグーザ、副都心ヘリオポリス、などを含む一大メガロポリスとなった。現在のカイロ(大カイロ)は、アラブ世界第一の活気に満ちた政治、経済、文化の中心地であるとともに、過密とスラム化に悩む、典型的な開発途上国の都会でもある。[加藤 博]
『J. L. Abu-Lughod Cairo. 1001 Years of the City Victorious(1971, Princeton Univ. Press)』

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世界大百科事典内のカイロの言及

【エジプト】より

… 北アフリカの砂漠地帯を貫いて北流するナイル川がエジプトの生命線である。デルタ北西端のアレクサンドリアの年間降雨量204mm,カイロ30mm,ミニヤー以南の上エジプトはほとんど0に近いという,オリエントでは砂漠につぐ乾燥地帯にあり,ナイル川の浸食作用により形成された河谷および河口に,川が上流より運んできた肥沃な沖積土が堆積してつくりあげた土地(ナイル河谷約2万2000km2,デルタ約1万3000km2)だけが,人間の生存と農耕に不可欠な水を得て,人間生活の舞台となった。この状況は,灌漑地域の拡大による近年の生活空間の広がりにもかかわらず,基本的には変わっていない。…

【都市】より

…イスラム時代の都市には,ダマスクスやアレクサンドリアのように古代オリエントの都市をそのまま継承したものもあれば,イラクのバスラやクーファ,あるいはエジプトのフスタートのように大征服の過程で軍営都市(ミスル)として建設されたものもあった。またカルバラーやマシュハドは聖地を中心に発達した宗教都市であるが,バグダードやカイロは初期のミスルと同じくまず軍事・行政の中心地として建設された。 どの都市においても,町の中央部にあるモスク(ジャーミー)では金曜日ごとに信者による集団礼拝が行われ,また礼拝に先立つフトバ(説教)には,都市住民の総意として時の権力者の名前を読み込むことが慣例であった。…

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