ワシーリー3世(読み)ワシーリーさんせい(英語表記)Vasilii III

改訂新版 世界大百科事典 「ワシーリー3世」の意味・わかりやすい解説

ワシーリー[3世]
Vasilii Ⅲ Ivanovich
生没年:1479-1533

ロシアのモスクワ大公。在位1505-33年。イワン3世の子。母はビザンティン帝国最後の皇帝の姪ソフィア・パレオローグ。父の政策を継承してロシア国土の統一をおしすすめ,モスクワ国家の中央集権化に努めた。プスコフリャザン公国ノブゴロド・セベルスキー公国などが彼の治世にモスクワ大公国に併合された。またポロツキー分領国を廃し,その領土を没収した。内政面では彼の中央集権化政策を支持するヨシフ派を漸次重用してシュイスキー,ボロティンスキーなどの貴族マクシム・グレク,バシアン・パトリケーエフなど教会内の反対派を抑圧した。一方,大公権を支える階層である中小貴族を保護し,その経済的基盤を充実させた。外交面ではイワン3世以来のリトアニアとの戦争(1507-08,1512-22)を続行してスモレンスクを奪い,カザン・ハーン国に影響力を伸ばし,クリミア・タタールとも戦った。その治世にロシアはフランスインドなどとも交渉をもった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワシーリー3世」の意味・わかりやすい解説

ワシーリー3世
ワシーリーさんせい
Vasilii III

[生]1479
[没]1533.12.3. モスクワ
ロシアのモスクワ大公 (在位 1505~33) 。イワン3世 (大帝)の子。父の統一事業を受継ぎ,プスコフ,スモレンスク,リャザン公国などを併合した。クリム,カザンのハン国戦い,モスクワの権威を高めるとともに,フランス,インドなどと外交関係を結んで文化発展にも貢献した。

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世界大百科事典(旧版)内のワシーリー3世の言及

【ローマ理念】より

…しかし第二のローマも1453年滅亡する。この後1472年最後のビザンティン皇帝の姪を娶ったモスクワ大公イワン3世は,外国に対してツァーリ(カエサル)の称号を用い始め,その子ワシーリー3世の時代には〈二つのローマは滅んだが,今や第三のローマがある。第四のローマはありえない〉とされた(第三ローマ論)。…

※「ワシーリー3世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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