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ワラキア公国 ワラキアこうこくPrincipat muntean; Principality of Walachia

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ワラキア公国
ワラキアこうこく
Principat muntean; Principality of Walachia

ドナウ川とトランシルバニア,アルプス間に 14世紀に建国され,1859年隣接するモルドバ公国と合併,同国とともにルーマニアの基となった公国。ローマ帝国の属州ダキアに由来したダコ・ローマン人が定住。6世紀頃からスラブ人と混血して,ラテン的伝統にスラブ的要素が混入。そこに居住する住民はワラキア人と呼ばれ,ハンガリーの支配を受けたが,1330年にバサラブ1世がハンガリーと戦って独立を達成。その後も従属と独立を繰返し,15~16世紀にかけてはオスマン帝国の支配下となった。ミハイ勇敢公 (在位 1593~1601) のときオスマン帝国の支配を脱し,モルドバ,トランシルバニアを併合。しかし再びオスマン帝国の支配するところとなり,1716年以来ギリシア人特権階級ファナリオテスの手にその支配は託され,公の選挙もまったく廃止された。 18世紀以降オスマン帝国が衰退しはじめると,オーストリア,ロシアが勢力を伸長,18~19世紀のロシア,オスマン帝国間の戦争の焦点となった。その間反ロシア,反オスマン帝国の民族運動が起ったが,いずれも失敗。クリミア戦争 (1853~56) 後のパリ条約でモルドバ公国との統一が提案され,1859年ルーマニアという国名のもとに両公国は合併。 61年ルーマニア公国となり,81年ルーマニア王国となった。

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