日本歴史地名大系 「一乗谷武家屋敷跡」の解説
一乗谷武家屋敷跡
いちじようだにぶけやしきあと
一乗谷川右岸の新御殿と相対する左岸は、字
昭和四八年(一九七三)から五四年にかけての発掘調査の結果、一乗谷川と山麓線との中間を、側溝を含め幅四・五メートルの道路が南北に走り、山側には間口三〇メートルほどの武家屋敷群が並置し、道路の東側にも川沿いの道路との間に区画は不明確ながら武家屋敷跡が検出された。この二本の幹線道路に直交して東西に走る幅八メートルの道路も発掘された。この東西道路は川を越して朝倉館の西南部に達することから、永禄一一年(一五六八)五月、足利義昭の朝倉館訪問の際の「辻固之衆次第」(朝倉始末記)にみえる「大橋ノ通」であろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報